う つ く し い も の が、 み た い 。



私の好きな言葉達。出典は関係無く、五十音順に並んでいます。
見出しはこちら。 出展作品によってはネタバレが含まれるものも有りますので、御注意下さい。


相変わらず私はひとりで
あての無い歌に身をまかせて
そして今日も私はひとりで
なつかしい歌を口ずさんで
あふれすぎて役にも立たずに
流れ去るだけの水のようにただ
今は自由

(篠原美也子「water」/アルバム「新しい羽根がついた日」収録)

人間は誰だってひとりで生まれて、ひとりで死んでゆく。 相変わらず、今日も、ひとりで、この先のあてなんて何も無くて、役にも立たずに、ただ流されて。 それは限りなく淋しくて、限りなく自由で、どこまでも孤独で。 ただ、人は生きてゆく。(2004/2005.3.7追記)


愛したのではない。
私たちはそのとき、愛する能力を与えられたのである
(曽野綾子「誰のために愛するか」より)

なんて素敵な言葉だろう、と思う。 誰かを愛しいと思った時、その相手を愛したのではなく、 その瞬間にその相手を愛する能力を「与えられた」のである。 「愛する」という行為は実はかなりの訓練を必要とするものだ。 特に、自分が好まない人を愛そうとする時は。 けれど、恋愛においては、まるでそれが天から降ってきたかのように 私達は愛する能力を与えて貰うことが出来る。 誰かを好きになったら、やっぱり自分の心に素直になって、 精一杯愛し抜きたいと思う。 だって、こんな条件も何も関係なく与えられる、しかもこんなに素敵な能力なんて、そうないでしょ? (2004.12.21)


会いたいっていうのは、
例えばどこかの浮浪者でも会いたいやつがいるかもしれない。
つまり人間として面白くなきゃさ
(村上龍・坂本龍一「E.V.Cafe」講談社文庫より)

どんな肩書きを持っていようと、 その人の基本的な人間性とは関係無い。 どんな偉い人とよりも、出来るだけ面白い人と関係を保っていきたい、 と思う今日この頃。(2004)


「アタシの身体って本当に、頑丈ね。いやになっちゃうわ。
でも、死ねないの。死んだ気がしても、また元に戻ってしまうのよ。いやね。
だけど、やっぱり生きててよかったわ
だって、死んじゃうのは悲しいもの……」
(若木未生「イズミ幻戦記」第6巻/集英社スーパーファンタジー文庫より)

巨漢のおネエ言葉サイボーグ、静の台詞。 強敵との戦いの中で静は片脚を失うが、サイボーグなので再生が可能だ。 そんな半ば不死身の様な肉体を持った静は自分を「死ねない」と嘆くが、 しかしそれでも生を肯定する。「死んじゃうのは悲しいもの」という素直と言えば素直過ぎる言葉を、 大事に覚えていたい、と思う。「死」には色々な意味があるだろうが、 しかしやはり根本的に「死」とは悲しいものなのだから。(2004.12.31)


アタシは今日はじめて、
人を殺そうと思います
(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第2巻より)

死んだ恋人の子供を堕胎しようと決意した少女、 沙織のモノローグ。 個人的には堕胎には大いに疑問があるけれど、 どうせ堕ろすなら、ここまでの覚悟を持ってして欲しい、と思う時がある。 物事の綺麗な面だけを見て生きていく生き方もあるだろう、 だが、私は本当のことを見詰めたい。 ……でも、堕胎が法律で認められている以上、 それを行う人に向かってとやかく言う権利は私には無いのだ。(2004)


「あなたが自分でキョウコのことを見捨てたって、思ってるのね。
昔、自分のおかあさんを置いてきたのと、同じように。
自分だけが悪いんだと思ってるのね。そんなの、ばかみたい
(若木未生「イズミ幻戦記」第6巻/集英社スーパーファンタジー文庫より)

そんなの、馬鹿みたい。馬鹿みたい、なのだ。 自分だけが悪いと思うこと、なんて。馬鹿みたい、なのだ。 でも、その強迫観念にも似た思い込みから逃れられない時が、ある。 馬鹿みたい、ふと我に返ると、そう思うのだけれど。 そういう時は、ちょっとしたおまじないを口の中で唱えるようにしている。 (2005.1.15)


あなたしかみえなかったの 夢中だったの
あなたはいつも
わたしの幸せそして苦しみだった

(鈴木祥子「苦しい恋」/アルバム「CANDY APPLE RED」収録より)

私にとって恋とはいつもこういうものだ。 顔を見られるだけで、極端に言えばその男が止めた車を見るだけで、幸せになれる。 けれど、片思いのうちは振り向いて貰えない、という苦しみが、 恋が叶っても、いつか捨てられるのではないか、という恐怖に責められる苦しみが待っている。 その苦しさにいつも、「もう恋愛は止めよう」と思うのに、 それでも愛してしまうのは何故だろう、と思ったりする。(2004.12.31)


あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった

世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる
(ポルノグラフィティ「アゲハ蝶」より)

愛されたい、と願うことは、何て恐ろしいことだろう、と思う。 会えただけで幸せだった、夢で顔を見ただけで幸せだった、 そんなささやかな幸せを、愛されたい、という欲望は一瞬で破壊してしまう。 愛されたいなんて、望んじゃ、駄目。(2005.1.15)


あなたのためにお祈りをしますね
私にはそれしか差し上げるものがないの」
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

マダガスカルで晩年を送る日本人修道女・最上至暁子の言葉。 なんて素敵な言葉だろう、と思う。 どんな物よりも言葉よりも行為よりも、 祈りに勝る贈り物は無いように思われる。 祈りは形に残るものではないけれど、 誰かに祈っていて貰える、というのは、最高の幸せではないだろうか。 (基本的に)祈りは個人的な感情を越えた、魂の部分から生まれるものなのだから。 (2004.12.31)


あなたを憎むほどに 揺れて乱れ叫ぶ僕がいる
(ポルノグラフィティ/アルバム「ワールディリア」収録「渦」より)

恋とはこういうものだ、と思う。 そもそも、愛と憎悪は表裏一体。 愛すれば愛する程、憎しみも一層色濃さを増してゆく。 揺れて、乱れて、叫んで。 愛は確かに甘美な一面もあるけれど、同時に深く暗く濁って空恐ろしいものだ。 それでも何故、人は愛されたいと望んでしまうのだろう?(2005.2.11)


あなたを忘れないけど あなたにとらわれないでゆくよ
(B'z「WAKE UP,RIGHT NOW」/アルバム「BIG MACHINE」収録より)

これはとても難しいことだと思う。 忘れられない程に大切な人のことには、 どうしたって囚われてしまうから。 でも、本当に相手のことを大切に思うのならば、 忘れちゃいけないのだけれど、でも、囚われてもいけないのだ。(2005.3.14)


「甘ったれるな!
キミらは信用をなくしたんだ。
そんなもの、だれかが助けてくれてあたえてくれるとおもうなよ。

みずきの信用取りかえしたきゃ、自分で取りかえせ!!
(西山優理子「Harlem Beat」第1巻より)

ガリ勉眼鏡の運動音痴から、都2位のバスケットボールチームのエースに変身した努力の人、桜井からの叱責。 耳に痛い。誰かに信じて貰えなくなってしまった時、その相手を責める人が居るけれど、それは間違いなのだ。 信じてくれない相手が悪いのではなくて、信じて貰えない自分が悪いのだ。 信用だけは、誰にも与えて貰うことが出来ない。 あくまでも、自分の努力で勝ち取るしかないのだ。一度失ってしまったなら、尚更。 それは果てしなく険しい道かもしれない、けれど。(2004.12.28)


「あんたはいいわね。
お父さんもお母さんもみんな、
あんたの方がいいんだって。
私はもう必要無いでしょう?
(室姫おるこ「例えば家族という関係において」神の計画社より)

これは、人間の根本的欲求を表していると思う。 親なんかいなくても、或る程度の年齢になれば、生きていける。 実際、この台詞を言った主人公の姉は、家を出てひとり暮らしを始める。 でも、経済的・物質的にはひとりで生きてゆけても、 愛されなかった、という思いは見に染み付いてまとわりつき続ける。 一番自分の傍に居た、自分と同じ遺伝子を持つ人間にすら、 愛されなかった、という思いは。 特に、大人なら相手の事情や環境を考えて、 愛されなかったことに納得出来たりもするのだけれど、 子供にそういう能力は無い。 だから、子供の頃に愛されなかったという記憶は、 無条件の恐怖としてその人に染み付くのだ。 でも、この主人公の姉は、素敵な恋人を見付けるのだけれど。 人生は、何があるかわからない。(2005.2.5)


いい時代じゃないと ささやきかける大人達
僕達は今 この時代しか知らない
(渡辺美里/アルバム「BREATH」収録「BORN TO SKIP」より)

そう、いつだって大人達は勝手なことを言う。 過去の栄光を持ち出す。 私ももう大人と言える年齢なのだけれど、 この姿勢だけは失いたくない、と思う。 過去を無かったものと考えたりはしないけれど、 過去と向き合うことから逃げ出したりはしないけれど、 過去はあくまでも過去。 どんな時代であろうと、今、自分が生きているのはただ一つ、この時代だけ。 その世界でベストを尽くすことが必要なんじゃないの?  終わった栄光なんか、知ったこっちゃないね。 (2005.2.11)


忙しさを誇るなどというのは、
思い上がりもいいところなのである。

(曽野綾子「近ごろ好きな言葉」より)

基本的に、私は忙しくしている方が好きな人間だ。 暇だと、緩慢に飼い殺されているような気分になる。 でも、ふと気付くと、手帳が予定で一杯の自分をどこか誇らしげに思っていたりする時がある。 私はこんなに色々出来るのよ、しているのよ、これだけ必要とされているのよ、と。 そのことに自分で気付くことが出来ればまだいいのだけれど、 大体は気付いていない。 だからこそ、忘れずにいたい言葉。(2004)


いつか気付いてくれるだろうか
いつか振り向いてくれるだろうか
いつかこの手は届くだろうか
いつかこの声で言えるだろうか
いつか同じ月を見上げて
いつか笑い合う日が来るのだろうか

(篠原美也子「月と坂道」/アルバム「種と果実」収録より)

恋をすると、いつも希望と絶望の狭間で揺れている。 絶望とは希望を失うこと、だそうだから、 多分、希望の量が激しく変動しているのだと思う。 いつか、いつか、色々と願って、白昼夢にも似た夢を見て、 でも、どうしてもいつも不安を拭い切れない。 いつか、この背中が消えてしまうのではないか、という不安を。 そのことが良いとか悪いとかいうことではなくて、 片思いというのはそういうものだ、という歌、だと思う。(2005.1.14)


いつか死ねることの慰め
(谷川俊太郎「対詩」収録の詩の題名)

谷川俊太郎が言うように、いつか死ねることというのは人間にとって最後の慰めなのかもしれない。 でも、敢えて死に急ぐ必要は無い。いつか死ねることの慰め、は、生きている限りずっと一緒に存在してくれるのだから。 いつか死ねる日を思いながら、頼りない足取りでも生き続けていくことが必要なのだ。(2004)


It's a spiral stairway 空に向かい
ゼロを描きながら続く階段
Nothing means everything 踏み出して行く
ゼロを描きながらはるか果てなく
It's a spiral stairway 昨日よりも
ほんのわずかでいい 高くあれ

(篠原美也子/アルバム「SPIRAL」収録「S」より)

これがもしかしたら向上心というものかもしれない、と思ったりする。 昨日よりも、ほんのわずかでいい、高くあれ。そう、願い続けることが。 いつまでも同じことの繰り返しのように思えても、 同じところに戻ってきてしまうように感じられても、 それでもほんの僅かでいい、高いところへ、と望むことが。(2004)


いつでもそっと手がかりをくれた夜は
いつしかただ眠るだけのものになった
朝を待たなくなってどのくらい経つのだろう
(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「サヨナラ」より)

昔から寝付きが悪い方だった。けれど、以前は眠れない時間も考え事をする楽しい時間だったように思う。 病棟で働くようになって夜勤を始めて、夜がただひたすら早く朝が来ればいい、と願うだけになって、 そのうちに不眠を来たし、夜眠れないことにひどく怯えるようになった。 そして職場を変わって徐々に朝になって出勤することが怖くなり、 かつては心地良かった朝の目覚めもただの恐怖の時に変わっていった。 穏やかな夜を失って、清々しい朝も失ってしまったように思う。 朝目覚めた時、どう思うかでその人が自分の人生をどうとらえているかが分かる、のかもしれない。(2004)


「いつのまにか」じゃない
自分で選んで歩いてきたこの迷路
(B'z/アルバム「B'z the Best Treasure」収録「ねがい」より)

そう、大事なのは、自分で選んできた、ということ。 どんなややこしくて行き先が全く分からない、いつ終わるのか見当もつかない迷路でも、 自分で選んで歩いてきたのなら、きっと後悔はしない。 迷路に入るまいとして、自分の本心に背いてつい楽な方を選びがちだけれど、 そうするとその先に待っているのは、自分の心の中の迷路。 そんなわけのわからないものに踏み込んでしまうよりは、 自分で選んで、迷路の中を歩いていく方が、ずっと、いい。(2005.2.5)


一般論に引きずられるとつまらない
(日経WOMAN207号より大平健の発言)

それでも気になるのが、世間の目、一般論。「普通」であるということの重みと軽さ。 「普通ではない」ことのしんどさ。それでも、やっぱりそれに引きずられると、人生は主体性を失い、 つまらなくなるだろう。世界中に背中を向けても、凛としていられるだけの強さが欲しい。(2004)


いつも うまくやろうと すればするほど
ひとを 傷つけてるよ

(B'z「ハピネス」/アルバム「Survive」収録より)

……この言葉は、今までの私の人生を集約したような一言だと思う。 でも、どうせ上手くやろうとしたって傷付けてしまうのだから、 上手くやろうとする努力自体が無駄なのかな、と思ったりもする。 これからは、こういうのは止めようかしら?(2004.12.31)


(今一番怖いことは?)
守りに入ること
(B'z Unreal Music「B'z ELEVEN」より松本孝弘の発言)

何でこのおじさん(と呼んでも許される年齢だろう)は、こんなにも前向きなのか。見習いたい……。 やはり何らかの成功をおさめている人というのは、前向き思考の人が多いような気がする。この本、引っ越しの時に間違って捨ててしまった様子。古本屋で探そうか。(2004)


いやだなあと思うこと、そのままにしてたら、
たましいが腐るから

(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第1巻より)

我が身に火の粉が降りかかるのも構わず、「お節介」をしたシンゴに、 後の親友となるリーチが「善人ぶって、カッコつけてっと、やってけねーぞ、ここじゃ」と言ったのに対してのシンゴの返答。 多分、嫌なことを嫌と言えない人は、精神科の病気になる可能性が高いように思う。 たましいの健康の為には、嫌なことは嫌と言うのが重要。 そして、寧ろその態度こそが誠実ということなのではないか、と最近は思っている。(2004)


「言われたことしかできねんなら、こんな商売やめちまえよゴラァ!
オレが見てえのはその先だその先ィ!!
気がきくってのはなあ、想像力なんだよ想像力!!
わかるか?! 愛だよ愛!!
こなしてんじゃねーぞこのデブが!!」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

言われたことをこなすだけなら、場数を踏めば誰でも出来る。 そこから後、どれだけ気を利かせられるかが勝負。 ちなみに私は大変に気が利かない。 多分、他人への愛が物凄く足りない。 愛しているつもりでも、本当はちゃんと愛せていない。 「愛している」とどれだけ囁いても、本当はちゃんと愛する術を知らない。 この次はちゃんと愛そう、そう思って、ふと、ちゃんと今、目の前に居る人を愛しているのか?  そんな疑念に駆られた。(2004)


インディペンデンスで活動を再開して以来、
私は多分自分の気持ちをずいぶん流したりごまかしたりしてきた。
折に触れて過剰に自分を卑下したのは、
逃げ道を作っておくためだった

うまくいかなくなった時に、ほら、言ったでしょ?
もう駄目なんだって、終わってるんだって、
言ったでしょ?
とケツをまくるためだった。
(篠原美也子ホームページ掲載「シノハラミヤコのノーコンエッセイ『行き先はボールに聞いてくれい』
第59球「2004年過ぎ去りし春の記憶」より)

自己否定や自己卑下をするのは、逃げ道を作っておく為。 自分に期待しないようにすると同時に、 誰にも期待されないようにしておく為。 期待なんてされていない方が楽だし、 失敗しても期待されていなければダメージも少ない。 仕事を始めてから、出来るだけ期待されないように生きてきた。 自分で自分に期待することも出来なくなっていたし、 する気力も無くなっていた。 ……でも、それって、ちょっと卑怯な生き方だよね、 と思ったりもする。少なくとも、誠実では、ない。(2005.1.15)


上から覆い被さっても守りきれなかったら、下から必死で支えよ、というのだ。
愛はそういうものなのである。
快くお互いに相手に好意を抱き合うなどという甘いものではない。
(曽野綾子「幸福不感症」小学館文庫より)

……ぎゃふん。という感じの言葉。これは聖書の中で書かれている愛の定義についての言葉なのだけれど、 宗教だとかそういうものを取り払っても通用する言葉ではないかと思う。 テレビや雑誌(そして最近は小説でも?) では何だか簡単に分かり合って愛し合って信じ合う「美しい愛」の形が蔓延しているけれど、 私はそういったものには違和感を感じるし、やっぱり曽野綾子氏の語る「愛」の方がしっくりくる。 本当の「愛」の形を知りたければ、フランクルの「夜と霧」でも読めばいいのではないか、と思う (フランクルの「夜と霧」に出てくる「愛」については、このページにも引用させて頂いている)。 日本みたいな豊かな国で、何を失う危険も無く、従って必死の覚悟をすることも無く、本当の愛なんて生まれるんだろうか、と ちょっと私は訝しんでいる。(2005.1.13)


「…打越さん。
……教えて下さい。
うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい
十年前にあった事を話させて下さい。
そうしたらうちが死なずに残された意味が判るかも知れん。
そうしたら打越さんに逢うた事とかを、
姉や妹やみんなにすまんと思わんですむかも知れん。」
(こうの史代「夕凪の街」の乃野屋より)

「夕凪の街 桜の国」として、商業誌でも単行本になった作品の、 同人誌版より(こちらには「夕凪の街」のみが収録されている)。 10年前に広島で被爆した皆実は、ほのかに恋心を抱いていた同僚の打越に愛を打ち明けられるが、 その瞬間「ごめんなさい」と逃げ出してしまう。 その理由が上の台詞。 生き残った者が、生き残った故に罪悪感で苦しむ。 幸せになる権利は無い、と感じる。 そんなことは、少しも無いのに。 こういった優れた物語を読むと、自分で自分の生の価値を悩んでいることが恥ずかしくなる。 「夕凪の街 桜の国」は商業誌の方でも話題になったらしいけれど、 それだけの力を持った素晴らしい作品だと思う。(2004.12.31)


うらやましくないと言えば嘘で
追いつきたいと言っても嘘で
あたしはどうしようもなく 重ねた日々の果て
満足していると言えば嘘で
淋しくないと言っても嘘で
すべてはどうしようもなく
(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「30's blue」より)

羨ましい、追いつきたくはない、満足していない、淋しい、 結局はそうなのだ。羨ましいけれど、追いつきたくはない。だけれど満足しているわけでもない。 淋しい。もう本当に全てはただただ、ひたすらどうしようもないだけで。 そういった中でもただ淡々と生きてゆく強さが欲しい、切実にそう思う。(2004)


「うん。ごめんね。大丈夫。
手、離さないから
(Plantation/オオノサトシ「HEAVY NOVA」より)

繋いだ手を、自分からいつも離したくなる。 自分の手を握ってくれている手を、いつか離されるのでは ないか、と思って、離されることが怖くて、 自分の方から離してしまう。 でも、それは違うんじゃないか、と最近思い始めた。 振り払われたのならともかく、 握ってくれている、もしくは握ることを許してくれている 手を自分から離すことはないんじゃないか、と。(2004)


Wo 私が思う 私など
Wo どこにも いやしないから
(ZABADAK/アルバム「飛行夢」収録「飛行夢」より)

私自身が認知している私、というのは私自身にしか分からないもので、 実は周囲が認知している私の方が本当の私なのかもしれない、と思う時がある。 私自身の認知というのは必ずしも真っ直ぐで真実なわけではなく、 周囲の人間が客観的に捕らえている私が本当の私ではないか、と。 そう考えると、この言葉は大変意味深い。(2004)


選べないよ。
選べないんだ、ショコラタ。

個々の司書に専門や好みはあっても、
世界図書館はどんな物語も
この世に存在する以上、
受け入れるしかないんだ」
(舞村そうじ「図書館妃」RIMLANDより)

世界中に存在するありとあらゆる書籍を集めた、 「世界図書館」「図書館城」と呼ばれる城に嫁いできた幼い姫・ショコラタに、 夫であり城主であるハノンが語った言葉。 そう、私達はいつだって受け入れるしかないのだ。 それが現実として存在する以上。(2005.3.7)


「おいでになる前、『クララ会』では、ずっと昼夜を分かたず、
お母さまのお棺の傍に二人ずつのスールがついていましたのよ」
「そうでしたか」
「一時間に一度ずつ交替しますの。衛兵の交替と同じですわ。
その間中、ずっと死者のために祈り続けるんです
順一郎はそっとハンカチを出して洟をかんだ。
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

スール、とは修道女のこと。マダガスカルで死んだスール・最上至暁子の葬儀について語られている場面。 順一郎は彼女の息子。 彼が言うように、これはとても贅沢な見送られ方なのだろう。 昼夜を問わず、祈られ続ける。 これだけ幸福なこの世の去り方を出来る人は、そう居ないだろう。 祈られている、ということは、実は一番幸福なこと、だと思うから。(2005.1.15)


Oh, liar, liar だれもがliar
愛する人が ハッピーになりゃそれでいいや
(B'z「Liar! Liar!」/アルバム「Survive」収録より)

これが愛の本質なんだけどなあ、といつも思う。 男を好きになるといつも、最初はこう思う。 振り向いて欲しいとも思わないし、自分の思いが報われるとも思っていない。 ……でも、いつの間にか色々なものを望むようになる。 どんどん貪欲になる。そんな時、忘れないようにこの言葉を呟きたい。 愛する人がハッピーになりゃ、それでいいや。(2005.1.14)


恐れることより受け止めることね
強くなることよりも逃げないことね
(篠原美也子「河を渡る背中」/アルバム「everything is passing」収録)

強くならなきゃ、弱いままじゃ駄目だ、強くならなきゃ、 それこそ強迫的にそう思っていた。 でも、ふと気付いた。強さよりも必要なのは、 弱い自分から逃げ出さないことではないのか、と。 そう思うと、ほんの少し生きることが楽になった。(2004)


思い込みだけで生きてると、辛いわよ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

思い込みだけで生きていると、次第にそこから抜け出すこと自体が恐ろしくなってくる。 色眼鏡を外して、ありのままの世界を見ることが恐ろしくなってくる。 現実に直面することが出来なくなっていく。 そして、自分が辛くてもその思い込みを捨てられなくなってくる。 一歩踏み出して、新しい世界に飛び込む勇気が無くなる。 ……それじゃ、駄目なんだよね。 ちなみに、精神科において現実を見ることが出来ていない患者さんに、 いつ現実と直面して貰うかは意外に重要な問題である。 薬物によって精神症状が消失し、 それによって患者さんが現実に直面してしまう現象を「めざめ現象」 (awakenings)と呼ぶ。 勿論これはオリバー・サックス原作の映画、「レナードの朝」 (原題は「Awakenings」)という映画の中のエピソードから名付けられたものである。 「レナードの朝」は良い映画なので、まだ見ていない人は是非観て下さい。 (2004)


「――俺は生まれて死ぬまで、
俺だけの味方なんだよ
(峰倉かずや「最遊記」第1巻より)

自分の味方ですらない人間が、他の人間の役に立てるわけがない。 自分が他の人間の役に立てると信じ切っている人間は、 どこか胡散臭い。 だったら、こう言い切ってしまった方がむしろ正直で誠実なのではないか、と思う。(2004)


終わることのない 悲しみを歓びに
すべての失敗を成功に
あふれこぼれる 嘆きを唄声に

魔法じゃない じゃないけどできるよ
(B'z「スイマーよ!!」/アルバム「Survive」収録より)

どんな辛いことも、悲しいことも、失敗も、嘆きも、 捉え方次第。それらをネガティヴなものからポジティヴなものへ変化させる方法が、 魔法ではなくて、確実に存在する筈なのだ。 その方法の幾つかはこのページにも有る気がするけれど、 その一つ一つをこれからは着実に身に付けていきたい、と思う。 挫けそうな時に歌いたい歌の一つだ。(2004.12.31)


形を持って生まれたアタシたち
どうにか形を支えて生きて行く
どんなに中身がドロドロでも
それでも確かに今ここに存在する
そんな事実を背負って皆生きている
いつか本当に
消えてなくなるその日まで
(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第2巻/徳間書店より)

自分を完全に受容出来ている人など、本当は居ないのだろう。 そこそこ折り合いをつけながら生きている人が殆どで、 中には「ドロドロな」自分を許せずに、苦しみながら生きている人も居るだろう。 しかし、生まれてきてしまった私達は間違いなく存在してしまっていて、 そのことが苦痛でしかない時もあるけれど、 それでもその存在自体は、かけがいのない唯一無二のものなのだ。 いつか本当に消えて無くなるその日まで、 どうにか形を支えて生きてゆこう。(2005.1.1)


カベにぶつかったくらいでやめるのがんばったっていうか!!
ほんとに一生けんめいやってそれでダメならしかたないよ。
でもあんたマジで最後までがんばってないじゃん。
『おれなんかムリですよ』なんてカンタンにみきりつけてさ。
にげるんじゃないよ。
やってもムダだってとちゅうであきらめてんじゃないの。
自分のやれること100%やっちゃいないくせに。
カベがあるならよじのぼってみせなよ。
じゃなきゃ、一生補欠やってろ!!」
(西山優理子「Harlem Beat」第1巻より)

幼馴染みのみずきが主人公・成瀬を叱責する場面。成瀬って叱られっぱなしだな……。 叱られた時、コンチクショウ! と思って歯を食いしばれるか食いしばれないかで人生は大きく変わる、と思う。 どうせ自分なんか、と思うくらいなら、窮鼠猫を噛む勢いで挑んだ方が良い。 無様でも、みっともなくても、必死で足掻いた方が良い。 その結果が望むものではなかったとしても、足掻いた軌跡はきっと未来を導く道筋になる筈だから。(2004)


「神さまの計画の先に立って、何かを考えることはないんだよ。
神の計画が一番いいんだよ
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

マダガスカルで助産婦として働く日本人の修道女・茜に修道士のミシェルが言った台詞 (詳細はネタバレになるので省く)。 宗教色の強い台詞ではあるけれど、そうだよなあと思う。 どれだけ人間が考えようが配慮を巡らせようが計画を立てようが期待しようが心配しようが、 結局のところ人間の力では一秒先のことだって確実には分かりはしない。 だから、本当は余計なことを考えたり思ったりせず、 神様に、運命に全てを委ねるのが一番いいのかもしれない、と思う。 それに、人間が全てをコントロール出来る、というのはとんでもない思い上がりのような気もするし。(2004)


――「彼」は
「彼」は僕に名前を呼ばせなかった
「彼」は僕の名前を呼ぼうともしなかった
きっと、僕は何も欲してはいけない
それを「彼」は望まないだろうから
(峰倉かずや「stigma」より)

相手に嫌われるのが怖くて、捨てられるのが怖くて、 自分でも殆ど無意識のうちに(或いは意識的に)相手の望むように生きている時がある。 それは、偽りの安寧と幸福をもたらしてくれるが、 所詮それらは偽りのものでしかなく、いつかは破綻する。 だったらもう壊してしまえ、と思う、破壊衝動の強い今日この頃。 欺瞞は、嫌いだ。でも、人間には嘘を吐かざるをえない時もある。 それが分からないわけでは、ない。でも。(2004)


彼らにあるのは学生という肩書きだけで、守る物もない。
だから「自由」だし、何かがあったら全力でそっちに動けるの
(一条ゆかり「有閑倶楽部 虎の巻」/集英社より)

一条ゆかり氏が自分の作品「有閑倶楽部」の登場人物達について語っている言葉。 仕事を始めた頃、守る物なんか何もないし、 と思って、ひたすらがむしゃらに働いていた。 周りの目も気にしなかったし、どう思われてもいいと思っていた。 どうしても上手く行かなければ、辞めてしまえばいい、と思っていた。 職場にも職業にも固執していなかったし、 そんなものを守るより、自分の信念を貫きたかった。 けれど、働き続けるうちにいつの間にか守りたいもの、 というより、失いたくないものが増えてきてしまって、 段々窮屈になってきた。 そして、いつの間にか、「自由」を失ってしまったように思う。 ……と言っても、今の私の守りたいものなんて本当に大したことがなくて、 守りたいものというよりは自己保身の為に失いたくないものばかりで、 その辺りを思い切れば、まだ「自由」になれるのかな、と思ったりもする。(2005.1.14)


「かわいそうになあ。気づいちゃったんだよなあ、
誰も生き急げなんて言ってくれないことに。
なあ。見ろよこの青い空白い雲。そして楽しい学校生活。
どれもこれも君の野望をゆっくりと爽やかに打ち砕いてくれることだろう。
君にこれから必要なのは絶望と焦燥感。
何も知らずに生きて行けたらこんなに楽なことはないのに、
それでも来るか、君はこっちに。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第1巻より)

漫然と日常を送っていては、手の届かないものがある。 ありふれた毎日を投げ捨ててでも、どんなに傷付いてでも、 たとえ他人を傷付けてしまったとしても、手に入れたいものがある。 無理をする必要はない、と楽しく面白くあっけらかんと生きる術もある。 本当はその方が自分も周りも幸せなのかもしれない。 絶望も焦燥感も決してポジティブな感情ではないけれど、 焦ったことも無く、絶望したことも無く、どうやって本当の希望を知るというのだ?(2004)


「環境も才能だ。
未来の選択肢がある奴など、要らんよ。
しがらみを捨てる必要もなく、
マンガを描くしかないくらい何もないなら、
君は、最高の人材だな。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

「迷い」という甘えのある境地では、届かない世界がある。 選択する必要もないくらい、純粋に自分の目標を突き詰めようとする姿勢、 それはもしかして余裕の無い追い詰められた姿かもしれないけれど、 追い詰められた人間というのは、想像以上に強かったりする。 追い詰められた女は感情的にキレることが多いように思うが、 追い詰められた男というのはむしろ無口になることが多いようで、 私にはそれがとても恐ろしく感じられる。(2004)


がんばって がんばって 気が付けばいつも
からっぽの心が残される

(篠原美也子/アルバム「bird's-eye view」収録「満天」より)

これは精神科領域で言う所謂「バーンアウト」なのだろう。 簡単に日本語にしてしまえば「燃え尽き症候群」とでも言うべき状態なのだけれど、 私は一応精神科で働いている人間のくせに、これに陥りやすい。 本当に、「頑張って、頑張って」、気が付くと、もう空っぽで何をする気力も残っていない自分になっている。 そうなる前に何とか手を打たなきゃ駄目なんだ、と気付いたのは、 恥ずかしながら最近のこと。 自分の心が空っぽになる程何かを頑張っちゃ、駄目なのです。(2005.1.30)


記憶も記録も済んじゃったことだから、
あんまり変わらないかもね。

(B'z Unreal Music「B'z ELEVEN」より松本孝弘の発言)

……そうね……。あんまり変わらないかもね……。どっちもどうでもいいもの、なのか?  過去は白い砂の上に点々と続く足跡のようなもので、それは確かに歩んできた軌跡で貴重なもの、 唯一無二のかけがえのないものではあるけれど、 それ自体が未来に導いてくれるものでは、ない。(2004)


気が付けば残されたチャンスは驚くほどすくなくて
そのくせ有り余る時間を持て余しては無駄にして
(篠原美也子「秒針のビート」/アルバム「種と果実」収録)

何となくぼんやり過ごしていて、ふっと気が付くと、 自分に残された時間がとても少ないことに気付いたりする。 でも、そこで焦っても、何が出来るわけでもなくて、 やっぱりただぼんやりと時間を持て余して無駄にしている。 対処法は、自分にどれだけ時間が残されているのか、 そして、何よりも、自分が何をしたいのか、明確にすることだろう。 ……でも、それはどうしようもない現実に直面することとニアリーイコールで、 とても怖いことだから、私は、なかなか、出来ずにいる。(2005.1.15)


傷つけ合うことで確かめていた
もうそれ以外ふたりをつなぐものは無くて
やさしくされたくて 死にそうだったのに
やさしくしたくて たまらなかったのに

(篠原美也子「傷だらけの天使」/アルバム「Vivien」収録より)

傷付け合いたいわけじゃない、憎しみ合いたいわけじゃない。 でも、愛と憎しみはとても仲良しである以上、 恋愛でこういった状況は往々にして現れる。 切ないのは、表面上は憎しみ合っているふたりが、 実は優しくしたかったり優しくされたかったりというどうしようもない思いを抱いている時。 最初は愛し合ったふたりが、ちょっとしたズレで、 憎しみ合う。でも、切ない恋心の欠片の様なものは確かに残っていて、 篠原美也子が歌う様な切ない悲しみになる。(2005.1.15)


きちんと歌いなさい、とプロデューサーの中山さんによく言われた。
感情は感情として、クセや気分で流したりごまかしたりせずに、 きちんと歌いなさい
(篠原美也子「シノハラミヤコのノーコンエッセイ『行き先はボールに聞いてくれい』第59球
「2004年過ぎ去りし春の記憶」/HP「Room493」掲載より)

これは、歌だけではなく生き方そのものにも言えることかもしれない。 つい、感情をごまかしてしまいがちになる。 まあいいか、と流しがちになる。 でも、感じたことはきちんと表現しないといけないのだ。 それはきっと、歌に限ったことではなくて、生きていく上で必要なことなのだ。(2004.12.31)


「きっとこんな本」という私の想像を、
進吾さんの装丁はいつもはるかに超えているのです
(角田光代/ダ・ヴィンチ第12巻第3号「作家が愛した装丁家」より)

これに似た感触を覚えたことがある。 KTRさんに装丁を依頼した、「春の日」を見た時だ。 事前に打ち合わせもして、原稿も見せて頂いていたのだけれど、 出来上がってきた本を見て、びっくらこいた。 私の想像なんか、遥かにぽーんと飛び越えていた。 はああ、これがプロの仕事なんだな、と嘆息したのを覚えている (KTRさんは漫画も描かれるが、実際のお仕事はデザイン関係の人である)。 看護で食っていけそうなのが分かったので、 もうプロの作家になりたいなどと思ったりはしていないが、 多分、何かを間違ってなろうとしたら、 それは装丁をプロにして貰いたい、という理由だと思う。 本職に装丁をして頂く特権的な喜びを知ってしまったから。 「春の日」、中身はともかく(いや、それなりには頑張ったんですけれど)、 装丁は必見。装丁を見る為だけでも、買って下さい。 頭下げちゃいます(無料配布はしたくないのだ。あまりにも装丁が素晴らしいから、 勿体なくて)。(2005.2.6)


『昨日を捨てて生きる事はたやすい』
 
それは孤独な者のみに許された
自由という名の虚無である

(峰倉かずや「Stigma」新書館より)

もし、その人が本当に孤独なら、本当に自由で、 昨日を捨てて生きることも容易いだろう。 でも、無人島で一人で生きるのでもない限り、 本当に孤独な人間など居ない。 だから、本当に自由な人間も、居ないのだ。 そして、私達は昨日を捨てることも出来ず、ただ生き続けている。(2005.1.15)


今日こそはあとがきを書かなくちゃ
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第4巻後書きより)

生きていれば、自分の納得のいかない結末を受け入れなければならないことも多い。 終わりを受け入れなければいけない時がやって来る。 どんなに辛くても、不本意でも、それが現実ならば。 それでも、歩き続ければ、リベンジのチャンスはある筈だ。 生きてさえ、いれば。歯を食いしばって歩き続けることが、必要なのだ。(2004)


今日に続く明日 山を越えた夜の
そのむこうがわに まだ眠っている
太陽昇れば また新しい朝
今日がどんな日でも 同じひとつの朝

(ZABADAK「Tin Waltz」/アルバム「Pieces of the Moon」収録)

私に背中しか向けてくれない相手に疲れてしまい、 生まれて初めて誰かとの関係を自分から切り離したことがあった。 別れを決めた次の日は、それまで生きていた中で一番悲しくて、 一体どうやってその後生きていけばいいのかさっぱり分からなかった。 けれども相変わらず仕事は忙しかったし、時間はそれまでと同じように流れる。 それは一見残酷なことのようだけれど、同時に最大の恩寵なのではないか、と思う。 今日がどんな土砂降りの日でも、新しい明日は必ずやって来る。 それは非常に冷酷だけれど、最後の素晴らしい救いなのかも、しれない。(2004)


今日はぼろくそに負けたけれど来週は勝つかも知れない
という思い、それが希望だ。
(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を越えて」光文社より)

そうなんだ、そうなんだよね。今日はぼろくそに負けたけれど、 来週は分かんないじゃん。先のことなんて、神様しか分からない。 頭を抱えたくなるような惨劇に見舞われているかもしれないけれど、 この為に生きてきたんだ、と思えるような幸福に出会っているかもしれない。 そういう未来の可能性を信じること、信じる思い、それがきっと、希望なのだ。(2005.1.30)


綺麗なもの 歪んだもの
僕にはある ただ晒す事が怖くて
与えるもの 失うものさえも 見えなくなった
ああ僕を返して下さい
(ポルノグラフィティ/アルバム「ワールディリア」収録「朱いオレンジ」より)

本当の自分は自分しか分からないような気もするけれど、 けれど人間というのは主観的な自分と客観的な自分の両面があって、 その二つが揃って初めてひとりの人間になれる。 主観的な自分だけという存在は在り得ないし、客観的な自分だけ、というのもまた然り。 だから、自分の内面も或る程度暴露して「客観的な自分」に付け加えていかなければならないのだけれど、 全てを晒す必要も無い。 でも、自分で自分を抱え過ぎると、……多分自分を見失う。 時には、「自分」を誰かに委ねる勇気も、生きていく上では必要なのだろう。 ……私は、その勇気が、物凄く(多分異常なくらい)不足しているのだけれど。(2005.1.31)


切れ易い人はもっと簡単に平和主義者からテロリストに変身するだろう
曽野綾子「幸福不感症」小学館文庫より)

今、日本は外からの攻撃(その恐怖の主な対象はテロリストだろう)に怯えているけれど、 国内でもこれまであまり目立たなかった様な残虐なしかもあまり理由の分かりにくい事件が増えている。 テロリストは、案外私達の内側に居る、のかもしれない。(2005.1.13)


「…久保田さんはぁ、今のまんまじゃ駄目なんスよ。
こんなトコでこんなふうに野垂れ死んじゃ駄目なんスよぉ。
俺はぁ、久保田さんに、生きて
(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第1巻より)

チンピラ小宮、最後の言葉。そりゃあ最後に文字通り命懸けでこんなことを言われたら、 如何に飄々としている久保田だってマジになりますぜ、という感じの台詞。 誰かに、命懸けで、こう言われてしまったら、人生変わるよね。 やっぱり命懸けの言葉というのは重いんだなあ、という一言。(2004)


狂おしいほどに思い思われる恋が出来るのは
あとどれくらいだろう?
 急にそんなことを考えた
(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「秒針のビート」より)

女には賞味期限が有るんだ、と気付いたのは最近のことだ。 こんなことを書くと女性の権利を擁護しようとしている人には怒られるかもしれないけれど、 しかし確かに事実として女に賞味期限は存在する。 人間の男が純粋に雄として生きていられる時間は結構長いけれど、 生まれた瞬間から有限の卵子を抱えて生まれてきて、 あとはどんどん古くなっていくその卵子と一緒に生きなければいけない女が 雌として生きられる時間は限られているのだ。 勿論医学の進歩やら何やらでその期間が長くなったりはするし (実際昔は30歳を超えると高齢出産と言われたのが、 今では医学が進歩して35歳を超えなければ高齢出産という扱いにはならなくなった)、 でも現時点では女が雌でいられる期間というのは驚く程に短い。 だからといって、女は損だとか、男の方が得だとかは全く思わないけれど。(2004)


'Cause I don't want you to hate me, please
I don't want you to hate me
I don't want you to hate me
So I'll hold my fists down
I'll hold it to myself
(CORE OF SOUL「Don't Hate Me」/シングル「Flying People」収録より)

作詞者による日本語訳だと、「だって嫌われたくないんだもん お願い/私はあなたに嫌われたくないの /私はあなたに嫌われたくないから 拳はとどめておくね/自分の中にとどめておくね」となる。 好きな相手に、同時に攻撃的かつネガティヴな感情を持つことは良くある。 愛情と憎悪は表裏一体の仲良しな感情だからだ。 本当は拳を向けたい程の憎悪があるのに、相手に嫌われたくないが故に、 その強烈な感情を自分の中に押し止めておく。 覚えが無い感情ではないけれど、これは実はとても怖いことだと思う。 抑圧された感情は、いずれ爆発するか、もしくは少しずつ歪んだ形で噴出してくるものだから。 でも、嫌われたくないんだよね。分かる。嫌われたくないから、どんな無理でもしちゃうんだ。 だけど。(2005.1.15)


幸福は、求めて得られるようなものではない
結果として与えられるにすぎない、と言っているのです。
(日野原重明「生きかた上手」ユーリーグより)

精神科医V.E.フランクルの言葉を日野原重明氏が噛み砕いて語っている部分。 私達はつい、幸福を追い求め、その手段を探求しようとする。 でも、それはこの言葉によると無意味なことなのだ。 多分、毎日を一所懸命誠実に生きている人が、ふと気付くと 幸せを手にしているのだろう。(2005.1.15)


「…声出しゃ、意外と見つけてもらえるもんなんだよな―――…」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第3巻より)

見捨てられたと思っているけれど、本当に本気で助けを求めたのだろうか?  自分の声で叫んだのだろうか? それもせずに自分は阻害されていると思うのは、 きっと、ただの被害妄想だ。助けを求めて誰も手を差しのべてくれないのは、怖い。 自分が見捨てられていると確認するのに等しい。 でも、声を出さないと誰も気付いてくれないよ?(2004)


GKと一対一になったとき、
大切なことは歯を食いしばってシュートを打たないということだ。
ペナルティエリア内では軽々とシュートを打たなくてはいけない。
つまりリラックスしていなければいけない
(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を越えて」光文社より)

これは、サッカーに限らないこと、のように思う。 舞台の上でガチガチに緊張してしまうようなピアニストには決して良い演奏は出来ないし、 緊張の余り体を硬くしてしまうようなバレリーナは、決して優雅に踊ることは出来ない。 ナースもそうで、採血や点滴の針を入れる時、緊張するとまず入らない。 案外、何事もリラックスすることが一番のコツ、なのかもしれない。 それにはまず、場数を踏まなければいけないような気もするけれど。 何事も習うより慣れろ、ということなのだろうか。(2005.1.15)


木枯らしが過ぎようとする頃 痩せてしまった二人の灯に
誘われてあなたはやってきた 決断を吹きかけるため
穏やかな笑顔作りながら 出会いを悔やむことはないと
言い聞かせグラスを開けた時 これが最後だと頷いた
白い息さよなら告げた後 車に乗り込んでゆく時
ふりかえるあなたを抱き寄せて もう一度キスしたかった
(B'z「もう一度キスしたかった」/アルバム「IN THE LIFE」収録より)

切ない。これは、どうしようもなく切ない。 どちらが悪いわけでもなくて、でも別れなければいけない時がある。 そんな最後の時、もう言葉さえ何も表せなくて、 ただ、どうしようもなく、せめてキスだけ、と思うのだろう。 ……こんな綺麗な別れ方、私自身はしたことは無いが……。(2004.12.31)


ここはなんてあたたかくて
静けさに満ちているのだろう
すこしだけ眠ろう
慣れてしまえばきっとここにもいられなくなる
 
束の間で はかなくて
その記憶で生きて行く

(篠原美也子/アルバム「bird's-eye biew」収録「ここはなんてあたたかくて」より)

どれだけ居心地のいい場所でも、定住出来ない性分がある。 私は子供時代父親の仕事の都合で転居を繰り返した所為か、 一つの部屋に2年も住んでいるともう別の所に行きたくなってしまう。 それは現状に不満があるから、というより、身に付いてしまった性分のようなものだ。 やはり同様に父親の仕事の都合で子供時代転居を繰り返した向田邦子氏も、 エッセイの中で似たようなことを書いておられた。 誰が悪いわけでもない、それでも居心地のいい、あたたかい場所に落ち着けない。 だけど、そのあたたかった束の間の記憶がその後ずっと支えになってくれることもある。(2004)


心のどこかでシングルには"選ばれなかった・選ばなかった私"
という思いがあるのでは

(日経WOMAN2004年11月号より大学教授・夏目誠の発言)

そう、そうなんだ。 結婚だけが女の幸せじゃないし、シングル=不幸でもない、 と頑張って力み返ってみても、 心のどこかにはこの思いがある。 結婚していく友達を横目で眺めながら、 私は誰にも選ばれなかったんだなあ、と呟いている自分が居る。 それはそれでもう仕方がないし、必ずしも全て自分の所為でもないのだけれど、 心のどこかに、いつもこの思いが漂っている。


答えなど、無いのだ。
(篠原美也子HP「Room 493」掲載「シノハラミヤコのノーコンエッセイ 『行き先はボールに聞いてくれい』第51球」より)

私は偏差値は高いけれど実際に生きていく能力が低いというか社会適応が悪い、 いわば「偏差値馬鹿」とでも言うべき人間で、 全てのことには明確な答えが有ると思い込んでいた。 受験の答えには必ず明確な正解が有るように。 けれど二十代も後半に入ってようやっと人生初めてと言っていいであろう大ずっこけをやって、 それまで築いてきた仕事や人間関係を派手に破壊してしまってからこの言葉が身に染みるようになった。 その大ずっこけは誰の所為でもなくてひたすら私自身に問題があったのだけれど、 しかし、本当は正しい答えなど、無いのだ。在るのは、どうしようもない現実だけ。 別にそのことを今は悲しく思ったりはしていない。どうしようもないものはどうしようもない。 それはそれで受け入れるのもひとつの強さじゃないんだろうか、と思ったりしている。(2004)


今年一番良かったことは
君にこうして出会えたこと

(クレヨン社/アルバム「The BestU」収録「クリスマスの近い日」より)

いやあ、恋ですね、と思った。 最近の私は恋愛は妄想と紙一重、だと考えているのだけれど、 恋愛が妄想と唯一違うのは、この微笑ましさかもしれない。 多分、もしかして、「今年一番良かった」と思っているのは自分だけで、 相手はちっともそんなことは思っていないかもしれないけれど、 でも、自分がそう思えて、それでハッピーになれるのなら、 それでいいのだ。それを相手に押し付けたり、しなければ。 何だか年をとって心も磨り減って来ている気がするけれど、 こういう初々しさだけは幾つになっても忘れたくないな、と思う。 年甲斐もなく、と言われるかもしれないけれど、それでも。(2005.2.5)


言葉たちはいつかあやふやを愛して背中を向ける
(篠原美也子/アルバム「SPIRAL」収録「ひとり」より)

何か余計なことを言ってしまったら、嫌われるかもしれない。 嫌がられるかもしれない。 揚げ足をとられるかもしれない。 陰口をたたかれるかもしれない。 そう思うと、自分の本心を素直に言葉にする、なんてことは出来なくて、 当たり障りのない、何を言っているんだか分からないことばかりつい口にしてしまう。 でも、それは、自分の心を自分で見えなくすることで、 そして、多分、自分の心を見失うと、 きっと、生きる力がどんどん衰えていってしまうと思う。 他人にどう思われるかなんて、恐れちゃ、駄目。(2005.2.5)


「…このイルカもさ。今日オレ達がここに来たから会えたんだよな。
紙の上は時間も人物も自由に描けるけど、
今日のイルカも今日のお前も今日で最後だ。
ちゃんと見とかねえとな。
だから、いんだよ。
これでいんだよ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第3巻より)

締め切りが翌日なのに未完成なネームを放り出して、 久美子と動物園にやって来た主人公・町蔵が、 ネームを仕上げに帰ろうと主張する久美子に言った言葉。 一番貴重なのは未来でも過去でもなく、今この瞬間とこの瞬間に一緒に居る人達なのだ。(2004)


「この子は死んだほうがいいとお思いになれば、
人間が死ぬことを祈らなくても、
神は連れて行ってくださるよ
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」より)

重度の心身障害を持ち、苦しみながら生きる娘を生かすことが いいことなのか、悪いことなのか分からない、と言う小木曽に対し、 ジャン・パブティスト神父が言った言葉。 私はとても迷い易くて、考え込み易くて、悩み易い人間なのだけれど、 最近は全ては神様が決める、と思うようにしている。 どれだけ考えたって、最後は神の御意志に委ねるしかないのだから。 こう思えるのは、信仰を持っている者の特権なのだろう。(2004)


この次はきっとうまくいくからって慰めて
だけどふと思ってしまう この次はいつ来るの?
(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「30's blue」より)

残念だったね、次があるよ。自分にも他人にも投げかけがちな慰めの言葉だ。 でも、若さと勢いで走り抜けられる年齢を過ぎると、ふと妙なことが気になったりする。 この次、って、あるの? それって、何時来るの? と。 未来が手の遠い存在のまま永遠に存在していると信じられた年齢の頃には、 思いもしなかった感情だった。(2004)


この手はいつまで私の手を握っていてくれるだろう?
(神の計画社/室姫おるこ「神の計画」より)

これは私の根元にいつもある恐怖でもある。 特に恋愛をしている時に。 付き合い始めて、上手く行き始めて、いわば蜜月、みたいな状態になった時に、 ふとこの恐怖に襲われる。 この人はいつまで私の側に居てくれるだろう?  この温もりを失ったら、私は一体どうなるのだろう?  そんな恐怖に襲われて、自分の方から別れを切り出してしまう (そしていつも友人達に怒られる……)。 もう別れよう、もう止めよう、不安に駆られてそう思っていた時、 酔っぱらった相手の男に抱き付かれて、触らないで、と本気で思った。 でも、いい加減この恐怖も乗り越えていかなければいけないんだろうな、とも思っている。(2004)


この街で ありったけのネガティヴを抱いたまま転がり続ける
(篠原美也子「30's blue」/アルバム「種と果実」収録より)

ある人の前で、号泣したことがある。 いや、号泣したと言うより、泣いたかどうかもよく覚えていない。 ただ、その時は何かに取り憑かれた様に、 それこそ発狂した様にただ私はひたすら語り続けていた。 何を語ったかもあまり覚えていないが、 とにかく普段他人には絶対に話さないことを、 ただ自分の内側を全部ぶちまけるかの様に喋っていた。 あやふやなその時の記憶の中で、妙にはっきり覚えているのが、 自分が「ありったけのネガティヴを抱いたまま転がり続けるしかないのよ」 と言って、その瞬間、「あ、これ美也子さんの歌だ」と思ったことだ。 美也子さんの言葉を借りようと思ったわけではない、 思うより、考えるより先に口が動いていて、 その言葉を言った自分の声が耳に入って、初めてそれが篠原美也子の言葉であることに気付いた。 ……もう、結構前のことになるのだけれど、今振り返るとあの時の自分はとても怖かっただろうな、と思う。 いつか、ずっとずっと時が経って、そんなことも全部昔話になるような頃になったら、 そんな私を見てどう思っていたのか、その人に尋ねてみたいと思っている。 (2005.1.14)


これは男の三欲。
女にもてたい、金を持って目立ちたい。ケンカが強い。
男って凄く単純です。
(B'z Unreal Music「B'z TWELVE」より松本孝彦の発言)

そうね……男の人って、根っこのところにはそれがあるのよね……。もっとも、さすがにストレートにそれを 出してはこないからややこしかったりする。 女はそれを見抜けず、男の囁く愛の言葉にはまったりして、気付かないうちに、 お互い不自覚なままに泥沼が始まっていたりする。(2004)


「最後まで…、希望を捨てちゃいかん。
あきらめたらそこで試合終了だよ
(井上武彦「SLAM DUNK」完全版第7巻P/集英社より)

ラスト12秒で1点負けている、しかも相手ボール、という状況で勝ちを諦めかけた 三井に後の恩師となる安西が語りかけた言葉。 そう、どれだけ試合時間が残っていようと、勝負を放棄した時点で勝敗は決まっているのだ。 どうせ勝負するなら、最後の瞬間まで諦めちゃ、駄目、なのだ。(2004.12.30)


「最初っから無いモノなら欲しくないじゃない。
痛くも辛くもないし。
なまじっか何か抱えてる方がきっと、
痛いし辛いでしょ

(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第1巻より)

この感覚にはとても覚えがある。 大切なものをもっていれば、それにまつわる痛みや辛さがどうしたって生まれてしまう。 何も持たなければ、そんな痛みや辛さを味わうことも無い。 ……でも、それでも私は自分が大切にしたいものを後生大事に抱えていたい。 それがどれだけ痛くて辛くても。(2004)


最良の看護を行う上には患者のことを知らなければならないが、
私たちは自分が話をしているあいだは、
他の人のことについて何も学んでいないということである。

(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

喋ってないと、不安になる。喋っていない自分はまるで存在していないかのようで、怖くなる。 でも、患者さんの話はちゃんと聞こう。患者さん相手に話さなければならないことなんて、本当に少ししかない。 だから、ナースは患者さんの話をじっと聞いているだけでいいのだ。……これは、本当は私生活にも当てはまるものなのだろうけれど……、 でも、やっぱり患者さん以外が相手だと、喋らずにはいられない自分にふと気付いてしまったりする。(2004)


差しのべられた腕をふりほどきながら
それでも風の中を歩いて行く
あなたの背中に親指を立てる
誰かがいること忘れないでいて

(篠原美也子/アルバム「everything is passing」収録「Good Friend」より)

これが本当の友達だよなあ、と思う。 私の友達は皆、考え無しで向こう見ずで無謀なわたしにいつも「止めたら〜?」とは言ってくれるけれど、 決してそれ以上のことはしようとしない。 助けを求めれば手を差しのべてくれるけれど、余計なお節介はしてこない。 わたしを変えようとはしてこない。 そんな友人達を本当に有り難いと思う。 失うものなんて何も無い人生、といつも思っているけれど、 この友人達は掛け替えのないわたしの宝で数少ない自慢の一つでもある。(2004)


「三界との仕事はどう?」
「うん、イイよ」
「彼はあまり仕事の内容を詳しく説明しないのね?」
「そだね。でも平気、言うことちゃんと言ってくれるし
「そう」
(オオノサトシ「HEAVY NOVA」Platationより)

情報屋、ベラグアと人間の「生脳」を部品としている人工生命体、 ジャック・ノーの会話。こういう人が、言葉の上では厳しくても本当は誠実なんだろうなあと思う。 言うべきことを言うべき時にちゃんと言ってくれる人は少ない。 どうしたって、嫌われたくない、という思いや、世間体やら、 色々なものが邪魔をしてくるから。 特に男は、或る意味で女以上に本音と建て前の使い分けが上手いから、 私は男が苦手だ。でも、だからこそ、男にも惹かれるのだけれど。 言うべき時に言うべきことを言えたらなあ、と思うけれど、 現実はそんなに簡単ではなくて。(2005.1.30)


しかし一方ミクロにみれば、
一人ひとりの人はみんな違っていて、
一人として同じ人はいない。
この地球上に何十億と人間がいても、
まったく同じ遺伝子をもつ人がいないように、
一人として同じ人はいない。
一人ひとりは他で代用することのできない1回切りの存在である。
(飯田澄美子・見藤隆子編著「ケアの質を高める 看護カウンセリング」より)

よくよく考えたら、一卵性双生児以外は同じ遺伝子を持った人間、という存在は有り得ない。 お金持ちも貧乏人も、権力者もアナーキストも、大人も子供も、男も女も、 遺伝子レベルでは一人一人が唯一無二の貴重な存在。 つい忘れてしまいがちだけれど、腹の立つ上司も、うざったい親も、優しくない彼氏も、遺伝子レベルではみんなみんな、 貴重なたった一人の人間なのだ。 これから先、何億人間が生まれようと、あなたも私ももう二度と生まれはしないたった一度の存在で。(2004)


しかし、マダガスカルではあくまで自然農業なのだ。
神はここにも遍在している。
おぼしめしなら、作物は生き残るだろうし、
そうでなければ、コーヒー園は「壊滅的」な結果を辿るだけなのだ。
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

2004年は災害の多い年だった、と日本では言われている。 人間は科学力を駆使して自然を支配して、 時に神の掌から飛び出た様な気持ちになっているような気もするけれど、 何だかんだ言って結局人間は神の掌の上の存在なんだよ、 ということを神が見せつけた(という表現もどうかと思うが)年だったようにも思われる。 勿論、マダガスカルの様に科学がまだ余り力を及ばせていない世界では、 神の存在が色濃く感じられるのだろう。 それでいいのかもしれない、と思う。 人間が全てを支配出来る、というのは、途方もない思い上がりの様な気がするから。(2004.12.30)


しかし、ものぐさな私の実感としては、
愛は目的と方角を持ってかきたてるものではないのである。
愛は雷が落ちるように、襲われるものなのである
(曽野綾子「誰のために愛するか」より)

「僕のどこを好きになったの?」と訊かれて、困ったことがある。 あまり背が高くないところ、眼鏡をかけているところ、頭のいい(学問的に)ところ……、 挙げようと思えば挙げられなくもないが、 しかしそんな条件は他の男にだって当てはまる。 私が出せた答えは、「貴方だから」だけだった。 だって、愛は襲われるものなのだから、理由を問われても答えようが無いのだもの。(2004.12.21)


しかも この人達は軍人…
絶対 超筋肉質のはず
そう 筋肉は脂肪より重い
同じ身長の一般人より確実に重い…
体脂肪率は きっとシングル
(樹なつみ「OZ 完全収録版第4巻」キャラクター・プロフィール改訂版より)

上記は10年程前に出したムック本の中のキャラクター・プロフィールの、 ムトーとネイト(どちらも傭兵=職業軍人)の体重が軽過ぎた、 と作者が語っている部分。 漫画の登場人物の体重なんて、作中にエピソードとして出てくるのでなければ、 どーだっていいじゃん、と思ってしまうのは、多分素人の発想。 紙の上の登場人物の体重を「筋肉は脂肪より重い」なんて具体的な根拠を踏まえて 体脂肪率まで予測して考えてしまうのが、 多分、作家という人種の性。それはオタク性と紙一重かもしれないけれど、 やっぱりプロというのはそういうもんなんだなあ、と思った。 特にフィクションの場合、お話が嘘であるからこそ、 その細部は具体的でなければいけない、ような気がする。(2005.2.6)


至暁子はなんと一人で堂々と生きた人だったろう。
一人で愛し、結果を誰のせいにもせず、
一人で道を決め、一切の執着を絶って生きた。

子供に頼ることもなく、
この地球の果てのような土地に住みながら、
寂しさや恨みを訴えたこともなかった。
至暁子は人生の最後に実にいい闘いを自らに挑んで死んだのであった。
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻より)

マダガスカルで死んだ修道女、最上至暁子について語られる一節。 ここで一番大切なのは、「一人で愛し」という一文だろう。 そこを抜かせば、或る程度誰にでも出来ることのように思われる。 しかし、「一人で愛し」という言葉が入ると、 他の言葉のニュアンスまでまるで変わってくる。 愛しながら他人の所為にはせず、自分で決定し、 執着を絶つ、というのは本当に難しいことなのではないだろうか。 出来るならこういった風に生きて死にたいけれど、 私はきっともっと無様に死んでいくのだろう。 だとしても、少しでも近付きたいと思える人生の一つの在り方だ。(2004)


時代を渡る小舟の数え切れない中のひとつ
どうせはかないものだと だからいとしいはずだと
(篠原美也子「Fool in the Rain」/アルバム「everything is passing」収録より)

どうせ他の誰とも大して変わらない私の人生。 何を達成出来るわけでもないあなたの人生。 所詮、最初から最後まで愚かでしかなく、 ありふれていて、大して何が残るわけでもない。 だからこそ、それは限りなく愛しくて大切なもので。(2004)


死ぬと儀式が完結するから、一番いいことなんだけどね。
(村上龍・坂本龍一「EV. Cafe」より村上龍の発言)

アルト・サックス奏者、阿部薫の死に関して。ここでの「死」の取り上げ方は、 スタイルの中での「死」であって、生活に密着した実感のある「死」ではないけれど、 「死」という形が一番綺麗な終わり方、という場合も確かにあるだろう。 「死」は強力なパワーを持つものだから。 しかし、私は儀式の完結としての「死」など御免だ。(2004)


死ぬほど
気ィ使って
生きてきたから
 
そうやってずっと
笑ってたんだな

(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第3巻/講談社より)

ずっと、笑っている人を知っていた。 どんなことがあっても、何となく、へらへらしていて。 でも一瞬、その人の落ち込んだ顔や、不安そうな背中を見てしまって、 ……不覚にも、惚れた。 ずっと笑っている人は、怖い。 (2005.2.5)


自分が使いたい尺八の音を自分が出すためには、十年とかかかるわけ。
待っていられないよ。その音をシンセサイザーでやれば、十分くらいでできる。
しかもいいことには、尺八だと、日本の尺八の音だと分かっちゃうわけだけど、
シンセサイザーだったら、あいまいですむわけよ。
日本的でもあるし、しかし無国籍だし。
時代のどこに置かなくちゃいけないということもないしさ、すごく自由なんだよね
(村上龍・坂本龍一「EV.Cafe」より坂本龍一の発言)

自由というのは、時に重さを伴う。 けれど、坂本龍一氏はその重さを気に止める様子もなく、 シンセサイザーを使うことによって得られる自由を、寧ろ便利なものとして楽しげに活用している。 こういう人が、本当に強いんだろうな、と思う。(2004)


自分が適性に欠け、価値のないものと感じているために、
他人と競争しなければいられないし、
自分の価値を立証するためには(たとえ自己満足にすぎなくても)、
他人を軽蔑せずにはいられないのである。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より

そうなんだ……そうなんだよね……。誰かを見下さないと、生きていけないんだ。 優越感というのは、なんて甘美で心地良くて。 でもそこにどっぷりと浸かってしまうことは、物凄く恐ろしくて、限りなく孤独なことだ。 誰かを見下し、踏みつけにすることでしか自分の居場所を確認出来ない人は、とても可哀想なのだと思う。 そして一番怖いのは、無意識のうちに誰かを見下して安心してしまっている自分だ。(2004)


自分はサッカーのために
これほど努力しているんだというようなことを
彼は絶対に言わない

それは美学などではなく、
そのことに何の意味もないからだ。
(村上龍「寂しい国から遙かなるワールドカップへ」ビクターブックスより)

自分が何かの為に努力していることをわざわざ口に出して他人に言う、という行為は、 要するにその自分の努力を他人に知らせ、認めて貰い、更には賞賛して貰いたいから、 行われるのだ。 しかし、そんなことは、村上龍が言うように、何の意味も無い。 勿論、無視されたり貶されたりするよりは、誉められた方がモチベーションが上がるのかもしれないが、 所詮それだけのことで高められたモチベーションは簡単に低下するだろうし、 そもそも第三者の影響を余りにも受け過ぎる。 何かを成し遂げるには、そんな薄っぺらなモチベーションではなく、 もっと自分の内から発してくる骨太で揺るがない意志が必要なのだ。 ……取り敢えず、そんなものは持っていない、のだけれど。(2005.1.15)


自分より優れている人が身近にいる。
意識しないようにするなんて無理だ。
でも、それにひるんでたら前に進めない。
だから、もやもやした、この劣等感をバネにして走ってみよう。
走れるかぎりは大丈夫。まだ成長できる。
私もそうだったから。これからも、そう信じてる。
(西山優理子「Harlem Beat」第9巻、作者のメッセージより)

……走り続けることが、大切なのだ。走れ。走れ。走れ。倒れるまで、走り続けろ。そうすればいつか、 どんなに遠くても、道の果ては必ず見えてくる筈だから。でも、わたしはいつまで走り続けられるのだろうか?  いつまで走ったらゴールが見えるのだろうか?  人生に、ゴールなど無いのかもしれない、けれど。(2004)


自分を受け入れることのできない人は、
他人からも認められない。

(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

自分は世界中の誰よりも自分をよく知っていて、自分自身に近い人間。 その自分が自分を受容出来ていない状態で、一体どうやって他人に認められるというのだ?  まずは、自分がどうして自分を受容出来ないのか、その原因をきちんと見極めることが必要、なのだ。(2004)


自分を主体にした形で相手を見ることができるようになれば、
恋愛において成熟していく

(日経WOMAN207号より内田恵理子の発言)

自立していなければ、恋愛すら成立させることが出来ない、のかもしれない。 相手に振り回されるだけの恋愛は、それはそれで一つの体験だろうけれど、 しんどいことが多い。そこで惚れちゃったんだから仕方ない、と思うか、 相手を責めてしまうかで随分内容は変わってくるのではないだろうか。 どんなに辛くても、相手を責めてはいけないのだ。惚れたのは自分なのだから。 それが自分を主体にする、ということなのかもしれない、とも思う。(2004)


自由な時間というのかな、空白の時間も含めて、
そういう時間がこれからはとっても必要だという気がするのね。
そうすると商品をたくさん生産できないから、
どうしたらいいかっていうと、単価を高くするしかないわけ、僕なんかの場合は(笑)。
自分の時間を確保することをやっていかないと駄目なんだよね。
(村上龍・坂本龍一「EV. Cafe」より坂本龍一の発言)

仕事に追われて、でも仕事が嫌いなわけでもなくて、 それでも何故か息苦しい気分から逃れられない時がある。 そういった時は、やはり自分の時間を確保することが必要になる。 坂本龍一氏はどうやったら自分の時間を確保出来るのか、 具体的に考えることが出来る人の様子で、正直に羨ましいなあと思う。 これが上手に出来る人こそ、仕事上手、なのではないだろうか。(2004)


社会が悪いから、社会に自由がないから自分も不自由になってしまうという存在は、
まだ自分が確固としておらず、
依存的で自己に責任をもつということがわかっていない人である。
社会が悪いのなら社会を改善しよう、社会が不自由なら自由にしよう、
と前向きに取り組むことができ、環境がどうあれ、
精神が自由であることが人間にとって望ましいのではなかろうか。
(飯田澄美子・見藤隆子編著「ケアの質を高める 看護カウンセリング」より)

他人の所為にするのは、子供のすることだ。大人ならば、環境はどうあれ、自分で切り開く姿勢を持っていなければならない。 それはとても、難しいことだけれど。篠原美也子が言うように、歯を食いしばっても、愚痴を言うべきではないのだ。 それに、世の中にはどうにもならないことに満ち溢れているけれど、自分の心だけは自分で自由に出来る唯一のものでしょ? (2004)


「自由には限界があって運命にはさからえないってことじゃねえ?
それなら、楽しんだモン勝ちだね
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第1巻より)

どんなことにも良い面と悪い面がある。それなら、ポジティブなとらえ方をして楽しんでしまった方が、 損をしない気がする。汗も涙も痛みも悲しみも孤独も、全部笑い飛ばしてしまえばいい。 だから、私が無様な時はどうか笑って欲しい。(2004)


しょうがないアナタが好きだから自由にしてあげる
(B'z「FUSHIDARA100%」/アルバム「B'z the Mixture」収録)

これが私の愛の全てだった、と思う時がある。 彼には愛されていないことは分かっていて、 でも彼にとっても私は都合のいい女だったので向こうから別れを切り出されることは無かった。 もう縋っていちゃ駄目だ、彼を自由にしてあげなければ駄目だ、 そう思って別れを告げた。 そのことが彼を幸せにしたのか、不幸にしたのか、今でも分からない。(2004)


「じゃあお前は自分が何者かわかるのか
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「Id」より)

こんなに恐ろしい問いはないのではないかと思う。 こう問われて応えられる人は、いったいどれだけ居るのだろうか。 しかしこの問いにはこう答えるしかないのではないか、私は私でしかない、と。(2004)


斜面をすべりゆく思想にすみついた 背徳と妥協
たとえ全てが矛盾であろうとも それが私
(CORE OF SOUL/アルバム「Natural Beauty」収録「Living Through」より)

そう、それがどんなものでも、それが私。そう肯定出来る魂の健全さが、実は一番必要。 その「私」の内容は、どんなものだっていい。背徳であろうと、妥協であろうと、矛盾であろうと。 「私」が無いよりは、どんなものだって、「私」があった方がいい。 この自己否定の果ての突き抜けた、半ばやけっぱちの様な自己肯定には、 何だか懐かしさと共に共感を覚える。 今は多分、こんな風に言い切る強さは私には無いけれど、 昔は、何だかこんな風にがむしゃらに生きていたなあ、と。 そんな風に、今は、懐かしくこの曲を聴いていたりする(年をとったのだろうか)。(2005.2.5)


「知らないの? 男が化ける瞬間て、たまんないのよ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

男が化ける瞬間、は確かにある。しかし、私はそんな時の男が恐ろしくて仕方がない。 私には届かない、途方もない力を持っているから。 男の方が女より優れているとか言うつもりはさらさら無いけれど、 しかし本気になった男が見せるあの迫力には女は敵わないなあ、と思う。 だからといって、女が男に劣っているわけではないんだけれどね。 女の強さはまた別のところにある。(2004)


白い杖をけとばし改札へ向かう人の流れを
動き出した電車の窓から見ていた週末の夜
気にしていたらきりがない辛くなるだけ
それでも振り返る窓に映る私は誰
(篠原美也子/アルバム「SPIRAL」収録「ひとり」より)

篠原美也子ファンにとっては永遠の名曲であろう、 デビュー曲、「ひとり」。どれだけ時間が経っても、 大きなホールでコンサートをやるようになっても、 そしてインディーズになっても、この曲を彼女は歌い続けている。 切なさと淋しさに満ち溢れ、それでも歩き続けるこの歌は、彼女の原点なのかも、しれない。 上に引用した部分も、切なく辛い。誰かの悪意を目の当たりにして、 でも我が身に降りかかるであろう災難その他を考えると、 ただ見ているしかなくて、自分は何も出来なくて、 気にしなければいい、関係ないのだから、 と割り切ろうとしても、ふと窓に映った自分の姿を見て、自分でないような違和感を感じる。 それはきっと、自分が自分のたましいに背いているからで。 ――でも、どうしたって、そういう瞬間は、沢山沢山訪れて。 そういったものをひとつひとつ乗り越えながら、痛みを感じながら、 人は生きてゆくのだろう。(2005.2.1)


信じてもいねェ奴を好きとか言ってんなよ
悲劇のヒロインぶったって何も始まんねーだろ」
(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第2巻より)

……何というか、言葉を失う台詞。 私は、いつも好きな人を信じられない。 いつかこの人は私の手を離すだろう、 いつかこの人は居なくなるだろう、 そして私はひとりになるだろう、 と、誰かを好きになるといつも思っている。 でもそれは相手を全く信じていないということで、 失礼なことじゃないか、と、頭では、分かっている。 いつか離れていく人でも、それでも好きだよ、と言えるようになりたい。(2004)


人生は選択の連続。
目の前の勝負にのるかそるかはきみの自由。
勝敗の殊勲者も責任者もきみ。

だけど結果はどうあれ、
それをきみの成長の糧に変えていけるなら、
きみは人生の勝者だ!
(西山優理子「Harlem Beat」第3巻、作者のメッセージより)

勝った経験も、負けた経験も、全力投球したものなら全てその後の糧になる。 あと必要なのは、目の前の勝負に飛び込んで行く勇気だけだ。傷つくのは痛い、 痛いのは嫌だ。見知らぬ勝負に飛び込んでいくのは怖い、 そんな怖い思いをするくらいなら、暖かい場所で温々としていたい。 でも、そこには何の成長もない。前に進まなければ、人は生きてゆけない。 怠惰は老いに直結する。(2004)


心配とか恐怖とかいうものは、
人間が不必要なものをたくさん所有している時に起こるものなのだ
ということを、
私は知りました。これは、私にとってはすばらしい発見でした。
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

私は物凄く心配性で、小心者だが、 この文章によると、それは私が不必要なものを沢山持っている、ということになる。 ……何だか、とっても身に染みる言葉……。 取り敢えず、現状では私の部屋は不必要なもので満ち溢れている気がするから。 まず、荷物の整理が必要なのかもしれない。(2004.12.31)


「すきなもの、欲しいと思ったもの、興味を持ったもの。
『自分』の中を構成する色んなものなんだよ。
『自分』はこうゆうものなんだって、自分で覚えておくんだ
(Plantation/オオノサトシ「Heavy Nova」より)

「人工脳」に「補助脳」としての「生脳」を付けて「体(フレーム)にはいって」いる、 ジャック・ノーが瓶や箱にクスリやガム・ボールを溜め込んでいるのを見て、 理由を尋ねた三界に答えた言葉。 私がそもそもこのページを作ろうと思ったのは、この言葉がきっかけ。 自分がよく分からないから、自分が好きな言葉を集めていったらもしかしたら自分が見えてくるかも、 ……そんな思いがあった。 結果として、ここはそれ以上の意味を持つものとなったけれど。(2004)


すなわち、人は本来的に自立した存在であるが、
真の自立に向かうには、
その人以外の存在との相互性を認識することが重要な課題となる。
(飯田澄美子・見藤隆子編著「ケアの質を高める 看護カウンセリング」より)

自立するということは、とても難しいこと。ただ単に独り立ちすれば良いわけではなくて、 他の人との(或る程度の)良好な関係も必要とされるのだ。人間は社会的な生き物だから、 そうでなければ生きていけない。(2004)


正義の戦争というものは、この世にはない。
いかなる戦争もすべて不正義の殺し合いであった。
(北杜夫「マンボウ氏の暴言とたわごと」新潮文庫より)

この本のタイトルには「暴言とたわごと」と書いてあるけれど、 これは、暴言でもたわごとでもないと思う。 人が生きていく上で、確かに誰かを殺さなければ生きていけない場面は有るのだろうけれど、 しかし一体何をどうすれば「正義」の戦争なんてものが存在するのか、 私にはよく分からない。戦争を正当化し、あまつさえ「正義」と言い切る感覚は、 私には、分からない。(2005.2.1)


世界で一番卑怯者 そんな風に自分を責めるけど
(篠原美也子/アルバム「海になりたい青」収録「同じ様に朝が」より)

世界で自分が一番卑怯者、そう思って、自分を責めた時期があった。 でも、それは単なる自意識過剰なんだな、と気付いて、今はしなくなったけれど (自分で思っている程に他人は自分のことを気にしていない)、 でも、そうやって自分を責めながらではないと生きていけなかった時期があった。 そうやって生きるのはとても苦しくて苦しくてしょうがなかったのだけれど、 けれどもそういう風にしか生きられなかった頃があった。 今は何だかすっかり身も心も弛んでしまって、 卑怯者でも、ま、いっか、と思っている。別に、卑怯って犯罪じゃないし。(2005.2.5/2005.3.7追記)


前作『ノーハドル』が終わった時
『次こそ週刊連載』という私に担当氏が
『あなたにはまだ週刊やるだけの力がない』といいました。
そこを押し通して編集部にネームを提出しまくった末結局SPECIAL連載。
なんだか押してもたたいても越えることができないカベがあって、
週刊連載をやるには才能とか実力とかが足りてないのか、と実は泣いたりもしました。
でも越えたくてあがきまくりました。
(西山優理子「Harlem Beat」第28巻、後書きより)

周りは馬鹿だ無理だ止めろと言う。お前は愚かだ、と。 みっともなくても悪あがきをしてでも、それでも手に入れたいものがある。 だったら、諦めずに最後までしがみつきたい。 諦めたら、そこで何もかも終わってしまうから。 周りの雑音など、気にしていてはいけないのだ。 自分の人生の責任は、自分でとるしかないのだから。 他人に左右されるのなんて、勿体ないでしょ?  自分の思いに拘りすぎるのは良くないけれど、自分に嘘を吐くのは一番怖いことだ。(2004)


戦争や内乱は、一握りの好戦的な人々が起こすわけではない。
利益を奪われるという恐怖と不安だけがわたしたちを戦争に向かわせる
(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を越えて」光文社より)

戦争、というと、何か途轍もない野望や欲望、憎悪や怒りが起こすような気がするけれど、 実はとても身近な保身の感情から起こるものなのだ。 日本のような長年戦争を知らない国に居ると、 そのことを忘れ、自分は戦争を志向する筈など無い、と思い込んでしまう。 でも、それは違うのだ。 多分、日常生活で感じている様なちょっとした恐怖、何でもない不安、 そういうものが積み重なって、ついには戦争が起こるのだ。 自分も戦争を是とすることがあるだろう、その危険性を忘れずにいたいと思う。(2005.1.15)


「そうなんだよなあ、
知能の遅れた子だって、立派に名前があるんだ。」
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」より)

心身障害の娘を持つ小木曽が、 ジャン・バプティスト神父に娘の名前を尋ねられ、 思わず漏らした言葉。 名前、というのは単なるコードのようなのかもしれないけれど、 それは唯一のかけ替えの無い存在であるということを示すものでもある。(2004)


そして飽きるくらい自分と向き合った
あと何回くらい繰り返せば辿り着けるの?
(ポルノグラフィティ/アルバム「ワールディリア」収録「朱いオレンジ」より)

この思いにはとても身近な感覚がある。 自分が何を思っているのか、何が欲しいのか、何を目指しているのか、さっぱり分からなくなってしまって、 答を見出したくて、本当に飽きる程自分と向き合う。でも、それじゃ答は見付からない。 考え込むより、体を動かした方がいい。無我夢中で動いていると、ふと気付けば答がいつの間にか直ぐそこにあったりする。 考え込むより、動け。(2004)


そして私はずっとずっと
同じ思いで行けるだろうか
(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「月と坂道」より)

一所懸命誰かを追いかけている時、その人の背中がいつまで自分の視界の中に留まっていてくれるのだろう、 と不安になることがよくある。でも実は見失い易いのはその人の背中ではなく、 その人を追いかけ続けようとする自分の思いだったりする。 頑張ってその背中について行く気力が無くなってしまうことが、 本当は背中自体を見失うことよりずっと怖いことなのだ、ということに最近気付いた。 ちなみにこの曲はどうしようもなく切ない「いつか」という歌声の繰り返しが耳を離れなくなる名曲なのだが、 決して明るくもノリが良くもないこの曲をソロライブの冒頭に持ってくる篠原美也子、 ライブ自体には残念ながら仕事で行けなかったけれど、後日発表された曲目リストを見て、 流石、と思ったことを覚えている。(2004)


そして私は真暗なバラックの中で注意深く聞いている哀れな人々に、
われわれの状態の重大さを直視し、かつそれにも拘わらず諦めないことを望み、
われわれの戦いの見込みのないことは
戦いの意味や尊厳を少しも傷つけるものではない

ことを意識するように懇願した。
(V.E.フランクル「夜と霧」より)

そんなん意味無いじゃん、やったって無駄じゃん、馬鹿みたいじゃん。 篠原美也子が時々歌っているように、他人は周りから言いたいことを言う。 だけれども、物事の本当の意味なんて、結果を見ないと分からないし、 結果を見たって本当のところは分からないのだろう。 私達はついつい結果だけで物事を判断しがちだけれど、 実は結果なんて大した問題じゃ、無いんだ。 それまでの間、どれだけ何をしたか、が問題なんだ。 そこで諦めると、「夜と霧」の舞台のように生と死が非常に近い場所にある時は、 致命的な結果が本当に待っている。 だからこそ、フランクルは「懇願」したのだろう。(2004)


「そっか。こうやって自分のことばっか考えて生きてきたから、
バチが当たったんだな
、オレ。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

自分のことだけ考えている時、その人に本当の幸せはやって来ない。 他人を愛せない人が愛されることはない。 でも、そういう人に限って愛されることに物凄く飢えていたりして、 ひどく気の毒な悪循環だなあと思う時がある。 そんなことを思っている私自身も実は他人を愛することが物凄く下手で、 いつも自分の都合しか考えられなくて、 だったらせめて愛されたいという願望は持たないようにしたい、と思う。 他人を愛せない人間が、愛されるわけはないのだから。(2004)


卒業できない恋もある
街も人も 流れてゆく
卒業できない恋もある
すぐにきみに会いたいのに
こんな気持ちを
うちあけられないままに
(渡辺美里「卒業」/アルバム「Sweet 15th Diamond」より)

卒業出来ない恋も、ある。 過去に残骸の様に残っているだけで、 でもその中には、辛いことも楽しかったことも悲しかったことも嬉しかったことも、 全部、全部が詰まっている。 そしてただ、ひっそりと切なく存在しているだけで。 いつまで経っても、卒業出来ない恋も、ある。(2004.12.31)


その時、彼は何も言わなかった。
赤ん坊が生きたらいいですね、とも、祈ります、とも、
心配でした、とも言わなかった。
しかしいつも、生死の境にいる母と子の傍にじっと座っているということは、
そのことについて思い続けていた、ということの表現だったのではないか。

(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻より)

言葉で表現することが苦手な人間の種類が在る。 私は口から先に生まれてきたような人間で、 舌先三寸だけでここまで乗り切ってきたようなところがあって、 口下手な友人などにはいつも羨ましがられるのだけれど、 だからといって自分の本音を表現するのが上手なわけではない。 寧ろ、本当のこと程言葉にならないことの方が多い。 言葉よりも、何でもない行動の方が寧ろその人の本当の気持ちを表していることが、ある。(2004)


そばにいてほしい あともう少し 君だけが僕を癒してくれる
だれのためじゃない だけど歪んでない そんなフツーの力で
今日も日は暮れ 絶えぬ人の群れ ふらつきながら がんばっているよ
楽しい歌だけ 歌いながらね 歩いてゆこう
(B'z「ハピネス」/アルバム「Survive」収録より)

これって、素敵なことだよなあ、と思う。 誰かの為、と力むわけでもなく、普通で、でも歪んでいない。 そんな風に誰かを愛したい、と切実に思う。 そして、楽しい歌を歌いながら歩くことも、同じくらい大切なように思う。 みんなみんな、頑張っている。ふらつきながら、頼りない足取りで。 だからこそ、「楽しい歌」が必要なのだ。(2004.12.31)


ソレデ本当ニ
最期ニ笑ッテクタバレルノカ

若者ヨ
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「Id」より)

……くたばれません(そろそろ若者と呼べる年齢でもなくなってきているが)。 最後の地点に立ってたったひとりで自分の人生を振り返った時、後悔はしたくない。 誰に何と言われようとも、自分の足跡に誇りを持てる生き方がしたい。 でもまあ、そんなことを考える暇もないうちに人はきっと呆気なく死んでしまうのだろう。 それでいい、と考えたりもする。(2004)


それでもこの道を進むよ 父さん
己の身の程を自覚して
凡人であることを肝に銘じて
オレは何者でもなく生きる
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第4巻より)

ありふれた自分を受け入れるのは、とてもしんどいこと。そして、そのありふれた自分も唯一無二の存在であり、 自分以外の存在には決してなれないことを知りながら生きるのは、とても困難なこと。それをやり遂げようとしている、 ピアニストの卵・城戸信長18歳のモノローグ。 自分は自分にしかなれないのだけれど、そのことを自覚するのはなかなか難しい。(2004)


「それでも私はマンガと関わっていたいのよ。
これでも私は、自分が本物ではないことの自覚に誇りを持っているの。
この世界は力の無さを嘆くヒマも、自己弁護する余裕もないわ。
いい? これは仕事。本気でうそをつく仕事なのよ。
あなたの描くうそは、誰かがお金を払ってでも騙されたいものかしら?」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

これも一種のプロ根性なのだろう。 自分の仕事に誇りを持っている人は、美しい。(2004)


「それに俺などは、この田舎軍隊の俺のことが気に入っておる。
せっかく崩壊(クライシス)んときでも百死に一生を得たんじゃあ、
これからわざわざ気に入らない俺になれはせん
(若木未生「イズミ幻戦記」第4巻/集英社スーパーファンタジー文庫より)

平和な日本に生きていたって、人間いつ何時死んでしまうか分かったもんじゃない。 そうでなくとも、人生は有限で、生命には必ず終わりがある。 だとしたら、気に入らない自分で生きるなんて、勿体ない。 どうせなら、自分の好きな自分で生きていたい。(2004)


それは、生まれてから死ぬまでどんな人にも存在するもので、
一つは愛情(love)と安寧(security)への欲求であり、
もう一つは、満足(satisfaction)と快楽(pleasure)への欲求である、
意識的にせよ無意識的にせよ、
すべての人はこの二つの欲求への充足を求めている。

(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

私は後半の2つ重視だな……。でも自分の根底にこれらの欲求が潜んでいることには充分注意しないといけない。 それは無意識のうちに行動を左右していたりするのだから。(2004)


それは、実は、小説も同じで、
あなたがどんなに、小説をいとおしく思い、
小説のために一生を捧げると誓っても、
やはり、小説は、あなたを見て、逃げ出してしまう

いったい、どうすればいいのか。
それは、小説に対して、こころを開き、おまえを抱きしめてやる!
などといわず、ただ遊んでやることです。
その時、やっと、小説は、不信や不安や疑いを捨てて、
あなたの懐に、向こうから飛びこんでくるはずです。
(高橋源一郎「一億三千万人のための小説教室」岩波新書より)

これがもしかしたら、本当の愛し方なのかもしれない、と思う。 片意地張って、力んで、必死に愛そうとしても、 相手は逃げていくばかり。 だったら、ただ、楽しいことだけをして遊んでいればいいのかもしれない。 楽に、いこうよ。(2004.12.31)


それは、逃げない為であった
かわいそう、と言いながら、
殺すところは見ないで食べることは平気、という人にならない為であった。
この意識の不連続を利用して、
人間は思いこみだけの優しい人にもなれるし、戦争もできる。
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫)より

修道女の茜はマダガスカルの修道院で働いている。 原始的な生活がまだ中心のマダガスカルでの一場面。 時々、私達は卑怯だよなあ、と思うことがある。 せいぜい魚をさばくことくらいはあっても、 生きている何かを殺して食べる、ということは、 殆ど日常生活では無い。 でも、私達が毎日食べている何かは、確実にどこかで殺されている生き物達で。 上記の様に殺す場面を見る機会を持つことは難しいが、 そのことだけは忘れないようにしたい、と思う。(2004.12.31)


それは「部下から相談されたら必ず手を止めて話を聞け
無理ならいつ話を聞くのかその場で決めろ」というもの。
現在、コーチングと呼ばれるスキルを、
トヨタは昔から実践していたわけだ。
(日経ビジネスAssocie第3巻第23号より)

「トヨタ自動車に学ぶ『考える力』という特集の中の一文。 トヨタの文化について語っている部分だ。 これは、どんな仕事でも、いや、仕事だけではなく生活のどんな場面でも当てはまる原則だと思う。 忙しかったり、或いは単に面倒臭かったりしてついついこんな簡単なことが出来ないことが多いのだけれど、 それじゃあやっぱりいかんよな、と思う。 話しかけている時に背中しか向けられないのは、とっても淋しいことなのだから。(2005.1.14)


そんなに肩書きとかないと不安なのかな――
オレはなんでもない人になりたいよ
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「バング スタイル ア ゴー ゴー」より)

私は何も出来ない人間になりたい。 自分が何か出来る、という自信など持ちたくない。 それは容易く傲慢や自惚れにつながるものだから。 自分自身の力で出来ていることは実はほんの少ししかない。 そのことを自覚してどれだけ周りに感謝出来るか、が問題なのだろう。(2004)


たいしたものでなくてもいいから、
一組の夫婦ができるまでには「風雪」がいる。
結婚を決意するためには、何かに護られているのではない、
過酷な環境が必要である

(曽野綾子「誰のために愛するか」角川文庫より)

……最近、結婚を促されることが多くなってきている。 年齢を考えると当然なのだが、しかし、この言葉を前にすると 結婚に甘い夢など持てなくなる。 雑誌やテレビドラマで垂れ流される、甘い「結婚」のイメージに、 酔わされていただけ、なのかもしれない。(2004.12.31)


「大丈夫、生きていればいつからだってやり直せるわ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

死にたい、と望む人にかけられる言葉はそれほど多くない。 でも、この言葉はその数少ないうちの一つだろう。 明日はどうなるかなんて誰にも分からない。 宝くじの一等賞に当たっているかもしれないし、 突然突っ込んできた車に轢かれているかもしれない。 人生は「まさか自分が」の連続。 だから、勝手に絶望するのは、もしかして一番愚かなことなのかもしれないのだ。 大丈夫、生きていれば何とかなるよ。(2004)


大丈夫、大丈夫だよ
自分が思ってるほど人は冷たくない
 
現実はそこまでオレたちに厳しくない
考えすぎて動けなくなるほどバカなことはない
だからなりふりかまわず突っ走ろう
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「ストライク シンデレラ アウト」より)

若さだけに許される、勢いがある。その熱が、時として社会すら動かすことがある。 失敗することも間違えることも若さの特権。 それらを恐れずに突き進む強さが新しい何かを生み出すことがある。 ……最近の日本の若者はあんまり元気じゃない気もするけれど。(2004)


たいせつだ、やらなくちゃ、すべてをかけて、
とやる気を見せれば見せるほど、
小説も(もし小説を書きたいなら)、
詩も(詩を書きたいなら)、
女の子も(もちろん、「男の子」も可)、
夢も(たくさんの夢)、
お金や地位も(よくわからないけど)、
あなたから、逃げ出してしまう。
 
だから、あなたは、まず、
小説と遊んでやる覚悟を決めなければなりません
(高橋源一郎「一億三千万人のための小説教室」岩波新書より)

私はすぐ、大切なものほど肩の力が入ってしまう。 どこまでもやる気を全開にしてしまう。 でも、本当に大切で大事にしたいものとは、まず遊ぶ感覚で取り組まなくてはいけないんだなあ、 という実感が、珍しく素直に私の中に入ってきた言葉。 よく、「あんまり頑張り過ぎないで」と言われるのだけれど、 いつもその方法が分からなかった。 そうか! 遊べばいいのか! ……なーんだ。そうだったのか。(2004.12.30)


だが、おそらく「決定的なことを成し遂げるタイプの人間」が
この世に大前提的にいるわけではなく、
何か非常に細かいことの積み重ねが重要なのだと思う。
(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を越えて」光文社より)

そうなんだよなあ、そうなんだ。 多分、ちょっとしたこと、些細なこと、そんなことの積み重ねが、 やがて、実を結んで結果になるんだ。 でも、最近、こういったこつこつとした細かいことの積み重ねがとても 苦手になってきている自分に気付いて、愕然としていたりする。 目の前から、目の前の一歩から、と自分に言い聞かせたい。(2005.2.1)


だが、その地点、その瞬間からのベストの対応はひとつしかない
(村上龍「寂しい国から遙かなるワールドサッカーへ」ビクターエンターテイメントより)

これはサッカーについて書かれた文章だけれど、 ものを書くことにもこれは当てはまるかな、と思う。 多分、その部分、その瞬間に必要な言葉というのは、たったひとつしかないものなのだ。 そのひとつを探し当てたくて、パソコンの前で頭を抱えてみたり、 煙草を吸ってみたり、痴呆の人のようにうろうろと部屋を徘徊してみたりするのだけれど。 そうやってあれこれ本当に何でもやってみて、ふとその言葉に出会えた時は、本当に嬉しい。 大袈裟なようだけれど、至福、という言葉がその時の感情に最も当てはまるような気がする。 もしかして、私は、読んで貰いたいから、でもなく、評価されたいから、でもなく、 自分自身を表現したいから、でもなく、ただひたすらその瞬間の快感を求めてものを書いているのかもしれない。 ……仕事も、このくらい明確に必要なことが分かればいいんだけれど……。(2005.1.30)


だがたとえばボスニアなどでもそうだったように、
非常時にも個人の日常がある。
(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を超えて」光文社より)

私は精神科の病棟で働いているのだけれど、 そこには世間一般の常識からはかけ離れた、 普通の人にとっては「嘘でしょ?!」ということが、 ほぼ日常的に起きる。 痴呆の老婆が味噌汁のお椀に雑巾を突っ込んでいたり、 看護室の入り口にへばりついて何十分も同じことばかり繰り返して言っている若い男性が居たり……。 でも、その普通の人にしてみれば「非常時」な状況も、 私にとっては日常。 だから、違う職業の人に仕事の話をして、 「そんなことしてるの?!」という表情をされるのは、ちょっと心外だ。 どんなところにだって、「日常」は存在しているんだから、さ。(2005.2.5)


だが、プロスポーツの監督に限らず、
日本では甘えがいまだに横行している。
「うちの息子はバカで困りますよ」
「もうちょっと勉強してくれると助かるんですけどね」
親のそういう言い方は甘えだ。
バカな息子に育てたのはいったい誰なのか。
勉強しない子供になったのは誰のせいなのか

(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を越えて」光文社より)

これは怖い。 日本では甘えが横行している、から、 自分の責任、ということもあまり意識されない。 だから、ついつい私達は他人の所為――それが自分の親や子でも――にしがちなのだけれど、 よく考えてみよう。今、あなたや私がぼやいている状況は、 実はあなたや私自身が招いたものではないか?  このことを意識すれば、愚痴など言えるわけ……がない、筈なのだ。 そして、もうちょっと謙虚になり、高望みをすることも無くなる、ように思う。(2005.1.15)


「だからお前は、長谷川鉄男の彼女でもなく、
誰かのものじゃない、お前になれ。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第3巻/小学館より)

誰かの子供、誰かの親、誰かの恋人。 そういった肩書きのようなもので、自分を定義したくなることがある。 でも、それは誰かに寄り掛かった生き方で、 本当に自立した生き方ではない。 だから、私達は誰かのものではない、自分だけの人生を獲得しなければいけないのだ。 ましてや、本当の大人になる為には。 そういった大人ではないと、きっと子供を健全に育てられない気が、する。(2005.1.15)


だから、【HEAVY NOVA】 は自分のためにかきました。
自分が楽しいことが絶対条件、それがメインテーマでもあったなあ。
実際、この原稿の入稿時期は仕事が4つも(!)重なっていて、
多分いままで一番ヘビーだった同人誌入稿なはず。
それでも楽しかった。
自分が楽しいこと、それともう一つ、背景をちゃんとかく。
この二つが絶対条件。これはクリアした。
(Plantation/オオノサトシ「HEAVY NOVA」あとがきより)

この「HEAVY NOVA」は同人誌の中で一番好きな同人誌かもしれない。 プロが描いたということもあってクオリティも高いし、何より面白い。 虫ピンだらけの椅子が7つもある伯爵の部屋なんて、X−ファイルっぽくてゾクゾクしてしまう。 それだけ他人を楽しませることの出来る作品を自分も楽しみながら作れてしまうなんて、 本当に凄いと思う。 HPを見たりしている限り、オオノさんは自分の人生を楽しむことが上手な人のように思える。 私は自分の人生を楽しむのが(実は)大変へたくそなので見習いたい……。(2004)


だから、本当にやりたいと思うんなら、
やるべきなんじゃないですか。
だって、人生って有限でしょう。
いつか死ぬんだったら、
やりたいことをやったほうがいいんじゃないですか

失敗したなと思ったら、やめたらいいんだし。
(週間アスキー2004年11-16号より/柳井正氏の発言)

いつか死んでしまうなら、限りのある今なら、 細かいことは考えないで、精一杯やりたいことをやった方がいい。 きっと、その方が死んでしまう時にも後悔が少ないだろうから。(2004)


「だから私、『エラー』って名でよんでいたのに。
ジャック・ノーなんて名
「つめたいなあ」
(Plantetion/オオノサトシ「HEAVY NOVA」より)

情報屋・ベラグアとハッカー・三界の会話。 本来は人工知能の為の「部品」である「生脳」が独立しつつある、 ジャック・ノー。「ジャック・ノー」とは、 「生脳」がかつて人間だった頃の彼の名前。 ベラグアの元に居た時、「部品」が独立しつつある彼は「エラー」と呼ばれていた。 しかし、ハッカーの三界が彼を引き取ってからは、 彼は「ジャック・ノー」と呼ばれるようになる。 ……人間には、名前が必要、なのだ。記号、ではなく。 ちなみに三界は本気でベラグアを非難しているわけではなく、 所謂気のおけない友人との会話、といった風情の場面。(2004)


だけど、基本的には愛してるんです。自分のこと。
(B'z Unreai Music「B'z ELEVEN」より稲葉浩志の発言)

そうじゃないと、人間は生きてゆけない。後ろ向きなのがいけないわけじゃない、 そういうスタンスだってあっていい、だけど、最後にこのことを忘れちゃ駄目だ。 世界中の誰よりも、まず自分が自分のことを愛してあげることが必要なのだ。(2004)


「確かに、ここにいるのに!
誰も私を見ようとしない。誰も私の名を呼ばない。
じゃあいないと同じよ、死んだも同じじゃないっ。
私は『フィリィシアの姉』じゃない!
『リオンの妹』じゃない!!
フィリィシアもリオンも死ねばいい」
「…ヴィアンカ」
あいつらは私を殺し続けて来たんだから…!!
(樹なつみ「OZ」完全収録版第2巻/白泉社より)

天才一族・エプスタイン家の中で唯一IQが低くもないけれど高くもなかった凡人・ヴィアンカ。 そのヴィアンカが行方不明の妹・フィリィシアを探す旅の途中、 フィリシィア失踪の鍵を握る傭兵・ムトー相手に押さえ続けてきた感情を爆発させる場面。 人間が一番辛いのは、嫌われることでも憎まれることでもなく、無視されることだとどこかで読んだことがある。 そのことを端的に表しているのが、上記のヴィアンカの叫びだろう。 この後、ムトーはただ「ヴィアンカ」と彼女を呼び、それですっかりヴィアンカはムトーに惚れてしまうのだが。 自分の弱い部分を受け入れて貰えた相手に、女は惚れやすいのかも、しれない。 (2005.1.13)


他者への依存は絶対に希望にはなり得ない
あの人が自分を愛してくれている、それは希望ではないのだ、
希望は、ほとんど妄想に近いものである、
(村上龍「『普通の女の子』として存在したくないあなたへ。」厳冬社文庫より)

摂食障害だった知人が居る。 私より年下の女性だったが、最近、結婚して出産した。 相手の男は、所謂アダルトチルドレン(この言葉を使うのは嫌い。 人格が未成熟な大人、とでも言えばいいのかもしれないが、 しかしそう言うのも少し乱暴過ぎる気がする)で、 「殴る男」、つまりドメスティック・バイオレンスの加害者だった。 彼女は、結婚前からかなり彼に暴力を振るわれていて、 それでも「彼が一番私のことを愛してくれるから」と彼と結婚した。 私は彼女に「じゃあそれって別段彼じゃなくてもいいんじゃん」と言った記憶がある。 彼女は彼が欲しかったのではなくて、彼が自分を愛してくれている、 ということを「希望」と勘違いしてしまったのだと思う。 村上龍が言うように、「希望」が殆ど妄想に近いものなら、 愛されるより愛した方が「希望」に近いところに居られるのではないだろうか。 だって、恋愛感情は元々殆ど妄想と紙一重なのだから。(2005.1.31)


多少絵が変わったところで、私のマンガは変わらないよ。
安心して失敗するといいよ。」
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

揺るがない自分を持っている人は、環境や周囲の雑音では動じない。 自分自身を失わない。私が高校生の頃、既にルーズソックス全盛期で、 周りの女の子達は皆揃ってルーズソックスを履いていたが、 ルーズソックス自体が好きとか嫌いという以前に「皆同じ」が嫌いな私は、 単なる反発心だけでずっと短い靴下を履いていた。 女子高生ファッションというか、制服を着ること自体がお洒落の一種、 みたいになってきた最初の頃で、今まで制服を着崩していたような子も妙にきっちり制服を着るようになって、 それにも妙な反発を覚えて色物のシャツを着続けていたりした。 今はそんな反発を持つ気力もなく、ただ何となく周囲に流されている。 あの頃は若かったんだろうなあ、と思ったりしながら。 ただ、あの拗ねにも似たようながむしゃらな反発がふとどうしようもなく懐かしくなったりもする。 あの頃はもしかして今よりずっと強かったんじゃないか、と。(2004)


ただ自分を中心に考えすぎると、
楽しみが逃げていくことが多いような気はしています

誰かのために本気になるとか、地球のために生きてみるとか、
僕はそっちで楽しむつもりです。
(iladesso 2004年7月号より進藤江介の発言)

自分が楽しくなりたくて、自分が好きなこと、気持ちいいことばかりやってみると、 取り敢えずやっている間だけは楽しい。 でも、終わった後にどうしようもない虚しさに襲われる。 結局人は、他人の為に一所懸命生きるのが一番幸せなんだなあ、 と最近思うようになった。(2004)


「たとえ…っ本当に軍曹が人でなしでも殺人鬼でもかまわない!!
あなたがあなたである限り――――、
私はあなたが好きなんです!!

一緒に帰りましょう!!
チームリーダーの命令よ!
生きるの!!」
「…怖いな……」
(樹なつみ「OZ」完全収録版第5巻/白泉社より)

夢の科学都市は偽りで、実態は軍事基地だった「OZ」のボス、 リオンを、生還の可能性を捨ててまで追おうとする傭兵・ムトーを止めようとする、 フィリィシアの告白とも説得ともつかない、必死の叫び。 ムトーはこの直前に以前フィリシィアを盾にして自分が生き延びようとしたことを告白していて、 だからこそ、彼はフィリシィアの告白を聞いて「怖い」と呟いたのだろう。 命懸けの愛は、時に相手に恐怖感さえ頂かせる。 それは、敵うものが無い程、強い思いだから。 この場面では文字通りの「命懸け」の場面だからその強さも不自然ではないが、 日常生活の中でうっかり使ってしまうと本当に「怖い」告白の仕方だろう。 それは、日常生活の中ではあまりにも「重い」愛情だから。 でも、愛の本質はここにあるんじゃないかな、と思ったりも、する。 (2005.1.15)


例えば日本人だからどうしようもないとか、
妻子持ちだからどうしようもないとか、
あるいは、小説家だからどうしようもないとか、
どうしようもない部分っていろいろ男にあるでしょう
(村上龍・坂本龍一「EV. Cafe」より村上龍の発言)

女は毎月月経があるし、うっかり避妊に失敗しちゃえば妊娠するのは女だし、 そもそも女は男よりどうしたって基礎体力で劣るし、 女だからどうしようもない部分は多いように思う。 そんな女の私から見ると、男は女より自由なように思えるけれど、 男からしてみると、そうでもないらしい。 私にとって、男は何時まで経ってもよく分からない存在だ。(2004)


たとえ歯を食いしばっても愚痴をこぼすべきではなくて
自分に生きる価値が無いなんて思うのは間違いで

(篠原美也子/アルバム「種と果実」収録「秒針のビート」より)

このたった2行の言葉の意味が薄ぼんやりとだけれど分かるようになってきたのは、 最近のことだ。私はどちらかというと愚痴っぽい人間で、 よく友人や知人に怒られる。でも、愚痴はやっぱりこぼすべきではなくて、 そして、自分に生きる価値が無い、と思うことも恐ろしい間違いなのだ、 ということにも最近気付いた。 そんなことを思うのは、どれだけ自分が恵まれているか分かっていないからだ。 そして、こんな自分でも生かしてくれている周囲の人達に対する感謝を忘れているからなのだ。 だから、自分に生きる価値が無いなんて思うのは、間違いで、 だから、もう、「死にたい」なんて言うのは止めよう、と最近の私は思っている。(2005.1.30)


たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、
人間は――瞬間でもあれ――
愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって浄福になり得るのだ
ということが私に判ったのである。
(V.E.フランクル「夜と霧」より)

私はどちらかというと現実的な人間で在りたいと思っているし、 そうあろうと心掛けているつもりだけれど、 アウシュヴィッツという名の地獄の体験からフランクル氏が生み出した この言葉の前にはそんな態度など何の意味も持たない。 魂の自由が人間には最も必要なのだ。 そして、愛はどんな状況でも――いや、状況が厳しければ厳しい程―― 最後の救いになる。 これは、紛れもない真実なのである。(2004)


他人の金でぜいたくをすると、他人の苦労がわからない、
しかも不満だらけの人ができる

(曽野綾子「幸福不感症」小学館文庫より)

男と遊びに行ったり食事をする時、男に奢らせるのは当たり前、 という女が多い。でも、私はそれは嫌いで、相手の男が年上だろうと何だろうと 割り勘をしてきた。それは多分どこかに他人の金で良い思いをさせて貰うのは、 実は怖いことだ、という感覚があったからだと思う。 大学生活の後半、家を出てからその感覚は特に強くなった。 親の金も他人の金だ、と思うようになって、遊ぶ金に困っても親に無心したりは絶対にしなかった。 でも、その大学自体親の金で行っていたので、結局私は親の金、つまり他人の金で 贅沢をしていたことになる(大学なんて行かなくても生きて行くには何ら困らない)。 ふと気付くと、曽野綾子氏の言う様な「他人の苦労がわからない、しかも不満だらけの人」 になってしまっていた。 多分、これからも他人の金で遊んだり良い思いをしたい、とは思わないだろうけれど、 男が相手の時には相手に奢らせるのも相手を立てる方法の一つ、ということも分かってきたので、 最近は奢って貰ったりすることもある。結局、人生はケース・バイ・ケース。 だから、とても難しい。でも、やっぱり、基本的に他人の金で贅沢をしちゃ駄目。(2005.1.13)


旅人は答えた 終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど
(ポルノグラフィティ/「アゲハ蝶」より)

そう、全てのことに本当は終わりなど、無い。 終わった、と思った時は、本当は自分が「終わらせた」時なのだ。 諦めない限り、そのものを手放そうとしない限り、 本当の終わりはやって来ない。 だから、本当に終わっていないものを終わってしまったと勘違いして、 手放しちゃ、駄目。(2005.2.11)


たぶんあなたといるためなら
あたしはどんな嘘でもつく
たとえすべてを失くしても

篠原美也子「maybe」/アルバム「種と果実」収録より)

強烈な愛情だよなあ、と思う。 このくらい誰かを愛せたらいいなあと思うけれど、 でも、相手も同じ気持ちじゃないとこれは相手にとってはとても重いものになる。 どんな嘘を吐いたって、全てをなくしたって、一緒に居たい、 そんな風に言われたら、寧ろ怖くなる男の方が多いのではないだろうか (多分この歌は篠原美也子氏と旦那さんの関係を歌ったものだと思うので、 そういう状況なら大丈夫と思われるが)。 愛情を持っていても押し付けたくない、そう思う今日この頃。 (2005.1.13)


たまにしっかり話し合って、大丈夫?大丈夫?
よし、じゃ、また行ってくんねってかんじで。
次に戻ってきた時には誰もいないかもしれないけど、まあそれはそれで。
たまにでいいんですよ。嘘でもいいの。
でも信じられた瞬間があれば、またひとりになれるんですよ
(篠原美也子HP「Room 493」掲載「シノハラミヤコのノーコンエッセイ 『行き先はボールに聞いてくれい』第57球」より)

ひとりで居られる、というのは、強さなのだろうか弱さなのだろうか、 とふと思うことがある。私はひとりが大好きでそのくせどうしようもない淋しがり屋で 自分で自分を持て余すことも多いのだが、 篠原美也子の歌を聴いていると、ひとりで居られるのも強さなのかなあと思ったりもする。 でも、ひとりが好きということは集団行動が苦手、とニアリーイコールなので、 社会生活上は不便だったりもするんだよなあと思ったり……。 でも、誰も信じられずにいるひとりと、誰か他人を信じられるひとりは違うんだろうな、と思う。(2004)


「だめ、来ないで。
あなたにさわられたら、気がくじけちゃう
もうそれはいや。わたし行きます。」
(レイ・ブラッドベリ「二人がここにいる不思議」より)

体の接触を看護領域では(もしかしたら他の領域でもかもしれないが)ボディ・タッチと呼んだりする。 これは、時には言語以上のものを相手に伝えるものとされているけれど (そしてこんな言葉でくくれる程簡単な内容のものでも無い筈だけれど)、 本当にそうだなあ、と思ったことが何度かある。 恋愛をしていて、もうこの男とは別れよう、 と思った時に酔っぱらった相手に抱き付かれて、 触らないで、と本気で思ったし、 やっぱり浮気をした男と別れようとして、 最後のつもりで抱き締めたら、もう離すことが出来なくなってしまった。 ……ボディ・タッチとは、恐ろしく不思議で魅力的なものである。(2004)


足りないものだらけの君をそれでもいとおしく思うよ
つぎはぎだらけの運命を それでも
 
足りないものだらけの今をそれでもいとおしく思うよ
でこぼこだらけの運命を それでも愛していると言える
(篠原美也子/アルバム「SPIRAL」収録「愛している」より)

足りないものだらけ、つぎはぎだらけ、でこぼこだらけ。それでも愛しいものは愛しいのだ。 足の靱帯再建手術で入院している時、21時という消灯時間にはとても眠れず、 暗くなった病室のベッドの上でヘッドフォンでこの曲を聴いて、 何故かどうしようもなく切なくなって何度も泣いたことを覚えている。(2004)


だれかがまってる どこかでまっている
死ぬならひとりだ 生きるなら ひとりじゃない
(B'z/アルバム「B'z The Best "Treasure"」収録「RUN」より)

昔、死にたかった時、この歌詞が妙に耳に残った。 死ぬならひとりだ、生きるならひとりじゃない。 その言葉に実感は無かったけれど (そして今もそれ程実感が有るわけでもないけれど)、 もしかして、生きることはひとりじゃないのかもしれない、 そう信じたくて、何とか信じようとすることで、 やっと生きていた時期があった。 もう、随分と昔の話、である。(2005.2.11)


誰かに用意された道には何もない
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第4巻より)

誰かに用意された道の途中で何かを得たように見えても、それは自分のものには決してなり得ない。 一見用意された道というのは大変有り難いように見えるが、実は大変危険なものなのだ。 本当に自分のものになるのは、自分が自分の血を流して得たものだけ。(2004)


だれでも人からは好かれたいし、
まただれかから好かれることが必要であるが、
すべての人から常に愛されたいと思うのは、
おとなの態度ではない。

また行為をきらうことと、
それを行なった人を拒絶することを区別できないのも
未熟な態度といわなければならない。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

まさにその通り……。でも、自分の行為を批判されると、何だか自分の人格全部が否定されたような気分になる。 まだまだ子供、ということなんだろう。 世の中には色んな人が居る。意見の合う人もいれば、合わない人も居る。 それはどっちが良いとか悪いとか正しいとか正しくないとかの問題ではないのだ。 ただ、あんたとは合わないね、と、それでいいのではないだろうか。 私は人に嫌われるのがとても苦手なので、肝に銘じたい言葉。(2004)


だれもが 時間に追われて こわれて
だれかを 愛するひまもない

(B'z「ハピネス」/アルバム「Survive」収録より)

これは、現代を象徴する言葉だと思う。 忙しすぎて、スケジュールに終われて、誰かを愛する暇も余裕も無く、 精神的にぶっ壊れてしまっている。 でも、そんな時代は嫌だ。 金持ちになる為に、豊かになる為に、それが必要というなら、 そんな豊かさなど、ただの欺瞞に過ぎない。 本当の豊かさ、幸せは、その対極にあるのだから。(2005.1.15)


誰より一番 あなたの
心の平和を祈ろう

何も心配しないでいいから 明日へと無邪気に進め
(B'z「GOLD」より)

久し振りに、この曲の歌詞カードを見て、ぎゃふん、となった。 これが、最高の愛の形だよなあ、と思う。 相手のことを祈る、というのはとても難しくて、 仕事が上手く行きますように、とか、健康でありますように、 とか祈ろうと思っても、でも果たしてそのことが本当にその人にとって良いことなのか、 人間には分からない。 でも、大事な人の心の平和を祈る、というのは、やっぱりとても素朴で素敵な 愛の感情だと思う。 大好きな人のことを、こうやって祈れたらいいな、と思う。 醜い嫉妬や恨みや憎しみとは無縁の心で。(2005.1.14)


誰より一番私が
あなたを最後まで見届けよう

羽根にくるまれて寝るように ひたすら最高の瞬間を想え
(B'z「GOLD」より)

見届ける、という言葉には、「終わりまで見きわめる」「最後まで見て確かめる」という意味が あるそうだ(参考:岩波国語辞典)。 感覚的には、見届ける、という言葉には、「最後まで付き合う」というイメージがある。 どんな形でも、最後の瞬間までその人のことを思い、関わり、見つめる、 という。 愛する人を見届けられれば幸せだろうな、と思うし、 ……あまり自分のこととして想像は出来ないのだけれど、 愛する人に見届けられるのも幸せなことなのだろうな、と思う。(2005.1.15)


「小さい子どもが病気をしたり怪我をしたりしたときに、
解雇されて家のローンも払えないような家庭を、
どうやって愛で救うっていうんだ?
(村上龍「ダメな女」光文社文庫より)

村上龍の友人の台詞とされるもの。 そう、人生には愛も大切だけれど、 お金が欠かせない。 先立つものが無いと、人は生きてゆけない。 愛では、お腹は一杯にはならないのである。 残念ながら。 でも、愛が有るのと無いのでは、 多分有る方が或る程度の困難には堪える力が強い、 とも思う。愛だけでは、生きてゆけないけれど。でも。 (2005.2.11)


「ちゃんと押さえておけよ?
ジャック・ノー、そのためにお前いるんだからさ
(Plantation/オオノサトシ「HEAVY NOVA」より)

これって一種の誠実さだよなあ、と思う。 或る程度大人になると、相手との人間関係に何を望むのか、簡単には表出しなくなる。 その代わり、腹の中で何かを企んでいることの方が多くなる。 そのこと自体は別に悪いことではないけれど、 こうやって相手に何を期待しているのか、 もっと言えば相手をどうやって利用しているのか、 はっきり口に出せるのは或る意味誠実さの現れではないか、と思ったりもする。 もっとも、相手への優しさや思いやりでそれが言えなかったりもするのだけれど。(2004)


中途半端を責める自分の声が
クラクションにかき消されて行く
振り向けば悔やんでしまう
(篠原美也子「split」/アルバム「種と果実」収録より)

自己肯定なんか出来ない。でも、そんな肥大した自意識の裏返しの 自己嫌悪は、東京という街の流れの中ではあっという間に呑み込まれ、雑踏の中に消えてゆく。 立ち止まることも、振り向くことも出来ない。そんなことをすれば、 後悔しか残っていないことに気付いてしまう。だから、走り続ける。 ……そういう生き方が、良いとも悪いとも言わない、ただそういう人生がある、 そういう人生を生きていることを、ただシンプルに歌い上げた、胸に突き刺さる様な曲 (篠原美也子は東京で生まれ育ったシンガーである)。(2005.1.14)


師英介にストレスを与えるには、
不眠も不休も苦労も困難も、必要ない

やり甲斐のない、簡単で、平凡な、
知性や洞察力を発揮する余地もない、
安泰すぎる仕事を三つもこなさせれば充分である。
(若木未生「イズミ幻戦記」第4巻/集英社スーパーファンタジー文庫より)

平凡で穏やかな日々。それはそれで非常に貴重だと思うけれど、 それを退屈で倦怠感に満ちたもの、と感じてしまう人種も居る。 それは危険な人種、かもしれないけれど、 何かを成し遂げるにはそのような素質も必要なのではないか、と思ったりする。 ……かく言う私もその一人で、 しかも何かを成し遂げるわけでもなく、ひたすら火の粉に飛び込んで行ってしまうタイプなので、 たちが悪い。(2005.1.15)


つじつま合わせに疲れ果て
好きなものがわからなくなって泣いたのも春だった
(篠原美也子「葉桜」/アルバム「種と果実」収録)

疲れ果てるのもしんどいことだけれど、好きなものが分からなくなるのも、本当に辛い。 好きなものが分からなくなってしまうと、どうやって生きたらいいのか分からなくなってしまう。 自分がどっちに向かえばいいのか分からなくなってしまうし、 終いにはどっちに向かっているのかさえ分からなくなってしまう。 そうなると、もう未来のことなんか考えられなくて、ひたすら過去のことばかり考えてしまったりするのだけれど。 でも、まだ泣けるうちは大丈夫なのだ。 そのうち、好きなものだけではなく、自分が怒っているのか悲しんでいるのか嬉しいのかさえよく分からなくなって、 そうなると、もう涙すら出なくなるから。 自分が好きなものを確かめておきたい、そういう意味もあって、 私以外の人にどういう存在価値があるのかあまりよく分からないこのページを私は更新し続けている。(2005.1.13)


つまり自分は良い麦で、他人は毒麦という発想になれる時、
抗議集会やデモを行おうということになる。
自分の中の毒麦がしっかり自覚できれば、
まずやらねばならないことは、
自分の中でこの毒麦をどう排除するかということである。

(曽野綾子「部族虐殺」より)

聖書の中に出てくる食用麦と毒麦の話を引用したくだり。 私は自分が正しい、とついつい思い上がり易い人間なので、 本当に肝に銘じなければいけないな、と思う。 でも、忘れ易いことなんだよなあ。 忘れがちになっちゃうんだよなあ。……気を付けよう。(2004)


「つまり勝利を前提にその手段を考えるべきだって事ですよ
(峰倉かずや「最遊記」第9巻/ENIXより)

最初から敗北を考えている人間に勝利は訪れない。 勿論、勝利を前提にしたって破れることはあるだろうけれど、 敗北を前提にした敗北と、あくまでも勝利を目指した上での敗北は、 全く意味が違う。勝ちたいのなら、まず勝利を前提にして戦いに挑むこと。 それが必要なのだ。(2004.12.24)


敵意というものが社会的に承認されないために、
人は敵意をもつと罪悪感を感じ、
罪悪感にはつねに罰せられたいという欲求が伴う。
罰せられることは免罪を意味する。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

罰を下さい、という言葉をどこかで見た気がする。ということは、それを書いた人は許されたいと願っていたのだろうか?  でも、敵意を誤魔化す為に表出している「罰せられたい」という欲求は、怖い。 罪悪感だけならまだいい、敵意を隠蔽しうようとする試みは、怖い。 何故ならその人は健全な敵意は問題があるものではない、ということが分かっていないということだから。 人間は生きていれば、どうしたって憎しみ合ったり傷付け合ったりするものだから。(2004)


でも、これから何かやっていこうという日本人にとって
演歌を憎むっていうのは正当なことだよね

そうでないと一歩も出られないんだぜ。
(村上龍・坂本龍一「EV. Cafe」より村上龍の発言)

憎しみ、というのはネガティブな感情だけれど、 何かが進歩発展する時にそれが必要になる時もある。 何かが変わろうとする時、破壊と再生はつきものだから。 破壊してしまったって大丈夫、また新しく作り直せばいい。 だから、破壊の原動力になる憎しみもまた、人間にとって必要な感情なのだ。 だからといって、そこにこだわる必要は無いけれど。 必要なのは、健全な憎しみだ。(2004)


でも、そいつのピアノの演奏はすごかった。
見栄と恨み節で身につけた技術のオレの演奏とは全く違って――
あたたかかったんだ。
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第3巻より)

ネガティブなモチベーションだけでは、決して到達出来ない領域がある。 奇跡が具現化されたような、領域が。(2004)


「――でも、『誰かの為に』なんてのは、
まず『応える』ことだと思うんです。
例えば僕を信頼してくれる人がいるなら、
僕は自分自身を精一杯守り抜きます。 僕もその人を信頼しているならなおさら、
その人に自分を恥じたりしたくないから――
(峰倉かずや「最遊記」第3巻より)

「他人の為に」「友人の為に」「恋人の為に」「家族の為に」。 つい口にし易い言葉だ。 でも、そう言った時、本当にその人の為に何かを出来るだけの力が自分にはあるだろうか?  それよりも、まず、自分自身を守ることが出来ているのか?  誰かの為に何かをしたいと思ったら、まず、自分自身がしっかりしないといけないのだ。(2004)


でももっと内面的なところを、当たり前になって知っていることや、
けっこう楽になってしまっていることを一段違うところへ上げてみたい、
行ってみたいなという思いは常にあります

そうすると、一段上がったところが普通になってくる。
その時点でもうたぶんステップアップできたんじゃないだろうか。
(B'z Unreal Music「B'z TWELVE」より松本孝弘の発言)

……だから、どうしてこのおじさん、こんなにハングリーなのさ……。満足しちゃって、落ち着いちゃってもおかしくない 年齢だし、満足してもおかしくないものを持っている筈なのに。凄い、としか言いようがない。(2004)


どうしてこんな羽目になったんだ?
(レイ・ブラッドベリ「二人がここにいる不思議」より)

上記の短編集に収録されている「ローレル・アンド・ハーディ恋愛騒動」の一節。 今風に言うなら「ラブラブ」だったオリーとスタンがすれ違い始め、 ついに別れることになった瞬間のオリーの台詞。 恋愛が終わる時――それがどんな形であれ――、いつもこう思う。 どうして? と。 あれだけ幸せな時間を共有していた筈なのに、 いつ駄目になったの? どこから駄目になったの?  ――どうして……? と。 こればかりはいつも分からない。 でも、多分どちらが悪いわけでもなく、 そうなるべきだったからそうなった、としか言いようが無いだろう。 そこから後は、きっと、多分神の領域で。(2004)


「どうしようもないなあ、『華』だけは。
目が離せないと言うのか…『見てしまう』という魅力は、
技術や理屈さえも凌駕するな。
そこには、残酷なほど他の者と圧倒的な差がある。
なるべくして作家になる必然が、そいつにはある。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

魅力的な作品を、まるで必然のように作り出す人が居る。 それはもう理屈も理由も飛び越して、必然としか言いようが無い程に。 そこにはもしかしたら、運命、があるのだろうか。 うつくしいものは理屈も理由も抜きにうつくしい。 時折、どうしようもなくそんなうつくしいものが見たいという衝動に駆られることがある。(2004)


「どうせ勝てやしないよ。」
――勝てなかった時の気まずさを少しでも和らげるために口にする。
けど、負けること考えずに100%やるのは、
馬鹿でもかっこ悪いことでもないよ

たとえ勝負に敗れたとしても、本当に君が負けたかどうかは、
君の心がちゃんと知ってる。
(西山優理子「Harlem Beat」第8巻作者からのメッセージより)

諦めるのが美徳、と思っていた時代があった。 どんなに頑張っても手の届かないものは確かに存在する。 それは残酷でも無様でもないことで、単なる必然のようなものだ、 と思って諦めの良さが自分の長所だと思っていた頃があった。 でも最近は絶対に無理と思われることに必死で取り組めることも強さの一つなのかな、 と思ったりする。どっちにしろ引き際は肝心なのだけれど……。(2004)


どうなるものでもないのに
預けた手を握ってくれて ありがとう
そのあたたかさで一生 生きて行けるとそう思った
(篠原美也子/アルバム「bird's-eye biew」収録「流星の日」より)

こんな恋愛がしたい、と切実に思うことがある。 片思いの間はちょっとしたことが嬉しくて、それこそ笑ってくれたこと、 手を握ってくれたこと、それだけで本当に幸せな気持ちになる。 でも、少し関係が発展して、そんなことが当たり前になると、そのことに感謝出来なくなる。 どうしてあれもしてくれないの、これもしてくれないの、と要求を押し付けるばかりになる。 求めるばかりになってしまう。 そんな時、こういった気持ちに戻りたい。笑顔を見られただけで、手を握って貰えただけで、 例えようもなく幸福になった頃に。 それはもしかして、人間が一番幸福な瞬間、かもしれない。(2004)


時に恨み混じりに
愛されなかったから愛せないのか
愛さないから愛されないのか
そう嘆く者がいるが
いまそんな些末なことで
心を悩ますほど
あなたは愛について豊かなのか

(STRANGE ANIMAL/江月響「夜の海」より)

私はちゃんと他人を愛することがとても苦手でそのことに対して後ろめたい思いがあったり、 それこそ愛することが出来ないから愛されないのか、と思い悩んでしまったりするが、 そもそも愛についてなんて何も知らない、と思い出させてくれたのがこの言葉。 そんなことで悩んでいる暇なんてない、そんなことで悩む意味など無い。 だとしたら、愛している人を素直に抱き締めるようにした方がずっと簡単でずっと幸せだ。(2004)


時にはあなたを傷つけて
時にはあなたに支えられ
どうにかこうにか胸こがし 走り続けてきたよ
ひとりで生きてく淋しさは
誰もみんな同じだから 自分の弱さにやさしくなって
空高くやるせなさを解き放ちたい

(渡辺美里「ランナー」/アルバム「Sweet 15th Diamond」収録より)

渡辺美里の歌うラブソングは、どうしてこんなに切ないんだろう、と思う時が有る。 この歌も、終わってしまった恋愛の歌。 時には傷付け合い、時には支え合い、一緒に生きてきた関係も、 終わる時がある。 そして、二人で生きていればひとりで生きていく淋しさから逃れられるか、というと、 それは必ずしもそうでもなくて。 そうなるともう、切なさややるせなさは青空に解き放つしかない、のかもしれない。(2004.12.31)


「読者はあんたのファンじゃないのよ。
がんばって読んでくれるなんて思わないことね。
誰にでもわかるように作るのが、一番難しいのよ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

ものを書く時、一番難しいのがきっとこのこと。 多分、殆ど偶然に近い確率で手に取ってくれた読者に、 魅力を感じて貰わなければいけないのだ。 読者は対価を支払って作品を手に入れてくれている。 つまり「お客さん」だ。客に努力を強いる商売など有る筈が無い。 それまで全く見知らぬ無縁の人物だったその人に、 無条件で楽しんで貰える作品でなければ、対価を支払うに値しないのだ。(2004)


――溶けて
消えたりできないアタシたちは
生きて行くしかできなくて
(峰倉かずや「WILD ADAPTER」第2巻/徳間書店より)

恋人を失い、その恋人の子供を堕胎して、 ひとりで生きてゆく決意を決めた少女・沙織のモノローグ。 溶けて消えて無くなってしまえれば、どんなに楽だろう、 と思う時があるけれど、 人間はやっぱり、溶けて消えてしまうことなど出来なくて、 出来ていくのはただ、生きてゆくことだけ、なのだ。 でも、それでいいのだ、と思う。 生きていることだけで充分。 そこにあなたが生きている、それだけで素晴らしいことで、 あなたがどんなあなたであれ、かけがえのない貴重な存在なのだから。(2005.1.1)


どこか繋がるはずの排水溝を
長い髪が絡んで塞いでいく
そして行き先を無くしたのが
ここにあるたったひとつまぎれもない真実

(ポルノグラフィティ/アルバム「ワールディリア」収録「渦」より)

目の前の現実が時としてどうしようもない閉塞感を伴っていることがある。 もうどうにもならない、どうしようもない――。 そんな時、絶望するのではなく、妙に楽天的になるのでもなく、 ただ淡々と事実を受けとめて、前向きに捕らえて改善しようとする強さが欲しい、そんな風に思うことがある。(2004)


突然のさよならに 泣くことも出来ないままに
道に迷った子供のように それでもあなたが好きだった
(篠原美也子「春の日」/アルバム「Vivien」収録より)

本当に悲しい時は、泣けないんじゃないか、と思う時がある。 あまりに悲し過ぎて、泣けなかったことがある。 そして私は物凄い方向音痴だが、 恋をしている時も、大きな迷子のようになる。 自分が何処に居るのか、何処に向かっているのか、それすら分からずに、 それでも、好きな人はどうしようもなく好きだったりする。 単なる方向音痴は私の場合は地図が読めるので、 地図さえ有れば何とかなるのだけれど、 恋愛に地図は無い。 そろそろ、迷子という年齢でもないので恋愛の方向感覚は持ちたい、と思うのだけれど。(2004.12.31)


とにかく、問題が起きたら、
その日のうちに結論をだすのは止めて、
一晩よく寝てからにすることだ

というのは有効なようである。
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻より)

最近、これは生きてゆく上で大事なことだ、と思うようになった。 頭が煮詰まっている時に色々考え込んだところで、 ろくな結論は出せない。 取り敢えず時間をおく、というのは、有効な手段だと思う。 私はとにかく煮詰まりやすいので、身に付けたい方法。(2004)


どんなに願っても叶わない願いがある。
私よりも強く願ったかもしれない人でも、
叶わず涙をのんだ願い。
私だけ叶うなんて誰が保証してくれるだろう。
でも諦めたくない。
もしも力を振り絞ったら、叶うかもしれない。
そんな未来なんかないと、
誰が断言できるんだ?
(西山優理子「Harlem Beat」第20巻作者からのメッセージ/講談社より )

そう、周りはいつでも言いたいことを言う。 無茶だ、無謀だ、愚かだ、止めろ、と。 でもさ、やってみないと分からない、かもしれないじゃん。 未来のことなんて、神様にしか分からない、んだから。 ただ、そういう周りの雑音にがむしゃらになって片意地張って反発する必要は無い。 多分、適当に流していればいいんじゃないだろうか。 流す、ということは、別段悪いことではない。 自分の奥底に、諦めきれない情熱、それだけをしっかりと持っていれば。 いつかそれが実現される日が来る、それを誰が否定出来るだろう?(2005.2.16)


なぜここにいるのか 時々わからなくなる
だけどここがきっと目指してた場所なんだ
今はまだ見えなくて 無意味に思えても
いつか 思い出して 気付くときが来るんだ

 
今どこにいるのか 時々わからなくなる
だけど振り向けばひとすじの道なんだ
今はただせつなくて ひとりに思えても
いつか 時が経って 気付くんだ
(篠原美也子「Time will tell」/アルバム「種と果実」収録より)

今自分が何をしているのか、何の為にここに居るのか、 混乱して見えなくなる時がある。 全てがただ流されるままで、無意味なように思える時がある。 でも、それは全て必然。神の計画の上で、私達は生かされている。 どれだけ淋しくて、切なくて、孤独でも、それは必然。 必要なことで、きっと或る日、 振り返れば自分の歩んできたところが一筋の道になっていることに 気付く日がくる。 そう信じて、生きてゆきたい。(2004)


なぜ、この話を紹介したかというと、
真樹子さんが言った
「ひとりじゃ生きていけません。彼と片時も離れていたくありません」
という言葉の裏側に、 「淋しいから、恋愛してしまう
というメッセージが隠されていると思ったからです。
(高橋龍太郎「あなたの心が壊れるとき」扶桑社文庫より)

……私も、淋しいから恋愛してしまう、のかもしれない……。 ひとりで生きていけないとは思わないけれど、淋しさに耐えるのは、とても辛いこと。 だから、恋愛をしようと……しているの、かもしれない。 でも、そんな恋愛じゃ、ちゃんと相手を愛せない。 ……まずは、自分が淋しさに耐える力を持つことが、必要なのだろう。(2004.12.31)


何か自分で決断し、冒険を冒さねばならないとき、
判断を誤らないように誰かが守ってくれることはありがたいことだが、
自分で考え、自分の行動に責任をもち、
その結果を受け入れることのできない人は、
十分な生き方をしているとはいえない。

なぜならば、生きる喜びの一つは、
自分が何かをなしとげる能力をもっているという自信によってもたらされるからである。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

……今、自分で考えて、自分で行動してるけれど、何かを成し遂げる能力を持っているという自身は皆無……。 どうしようか。まあ、自分の力で出来ることなどたかがしれているのだから、 助力してくれた人達に精一杯の感謝をすることがもしかしたら幸せへの近道、なのかな。(2004)


何が欲しくて 何を見たくて
何のために息を切らして
戻ることも 進むことも
出来ないままに ただ急いでいる

(篠原美也子「split」/アルバム「種と果実」収録より)

あたしは今、何がしたいんだ? 何が欲しいんだ?  最近よく、自問自答する。答え「したいことなんかない、欲しいものなんか無い」。 でも、それは嘘で。欲しいけれど、手に入らないから諦めたフリすらしないで、 最初から欲しくないフリをしているだけで、したいけど出来ないからしたくないフリをしているだけだ。 だからといって、どこかに戻ってやり直すことなんて今更出来ないし、 そのしたいことや欲しいものに向かって突き進む勇気も、今は無い。 でも、日々の生活には追われて、何だか忙しくて、いつも急いでいて。 わたわたしているうちに、何がなんだか分からなくなってしまう気持ちが、 よく現れている歌だと思う。 どうにもならないほど切ないメロディーと歌声が耳に残る。(2005.1.20)


何かをとても好きだったら、
その好きなことのために、
誠心誠意努力をしたくならないか?

知恵をしぼり、体力の限りを尽くさないか?
自分のごはんの質を落としてもありったけの金を投じ、
睡眠を削ってでも時間を注ぎたくなるもんじゃないのか?
(久美沙織「これがトドメの新人賞の獲り方おしえます」より)

何かに対して夢中になり、真っ直ぐな情熱を注ぐことが出来るというのは、素晴らしい才能なのだ。 それを出来る人は、意外に少ない。(2004)


何もかもがうまくゆけばいい
まだ見ぬ明日は胸を張って
それでも好きですと伝えたい
あなたに会うため生まれてきたと
生まれてきたと
(篠原美也子「風のかたち」/アルバム「everything is passing」収録より)

いつも、上手くいかない恋愛ばかりしてしまう。 その相手の中には、もう会えなくてもいいや、と思う男も居るし、 どれだけ辛い思いをした相手でも、 どんなに惨めな終わり方をした相手でも、 その男に会う為に生まれてきた、と思っている男も居る。 両思いになるだけが、恋愛じゃない。 ハッピーエンドを迎える恋愛だけが幸せなわけではない。 幸せの形も、愛の形も、限りなく人それぞれで。 それでいいのだと、思う。(2004)


なにもかも万事うまくいく生き方などわざわざ望みはしないが、
どうせ同じ量の時を費やすのなら、
なるべく自分にとって貴重といえる相手の近くで過ごしたいものだと思う
若木未生「イズミ幻戦記」第4巻より)

結局、最後はこれを選ぶのかな、と思う。 選択の基準として金だとか条件だとか色々考えるけれど、 最後にはやっぱり、人、だ。ひとは、ひとりでは生きられないのだから。(2004)


何もすることがなくなったのに 空は綺麗で 世界はとても前向きで。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

自分がどれだけ深い失望の底に居ようとも、世界の美しさは、 青く高く澄んだ空は変わらない。 そんな世界は確かに残酷だが、同時に清々しさを感じさせてくれる。(2004)


何も伝わらなかった
残念なような気も
肩の荷が降りたような気もした
あんなに傷付けあったのに
(STRANGE ANIMAL/江月響「夜の海」より)

傷付けたいと思って傷付けることもあるだろうが、 実は傷付けたいどころかその反対なのに傷付けてしまうことの方が多いのではないだろうか。 本当は分かり合いたいだけなのに、思いを伝えたいだけなのに、 どうしても伝わらないものがあって、お互い傷付くだけ。 そんな関係が終わった時は悲しみも確かにあるけれど、どこかで安堵している自分を感じたりする。 残るのは、本当は分かり合いたかっただけなのに、という切なさだけで。(2004)


鍋が鍋ではない何か別のものの寄せ集めなのと同じように、
かなしみはかなしみではない数えきれぬほどのおそろしくしんどいもののなれのはてだ。
(谷川俊太郎「コカコーラ・レッスン」収録「小母さん日記」より)

鍋が鍋ではない何か別のものの寄せ集め、というのは私にはちょっと理解出来ないけれど、 悲しみが悲しみでない、「おそろしくしんどいもの」のなれの果て、という表現は、 妙に共感出来る。(2004)


村上「なんでこんなに私が好きなのに、
    あの人は離れていってしまうんでしょうということは、
    当然なんだよ
。動物だから離れていくんですよ。
坂本「サティスファイ(充足)してれば欲望も好奇心もなくなるわけだから。
(村上龍・坂本龍一「EV.Cafe」講談社文庫より)

目から鱗が落ちる、まではいかないけれど、 それに近い衝撃を受けた言葉。 私が何か足りなかったわけではない、私が何かいけなかったわけではない、 男は、満たされてしまったから、私から離れていってしまったのだ。 「男は追うより追われろ」なんて世間では冗談みたいに言うけれど、 その本質はこの上の会話で表されているのかもしれない、と思った。(2005.1.15)


「なんでもよくは、ないわ。
生きがいなんか、全然ないって人がたくさんいるわ。
何をしてもつまらなくて、やる気がない人たちよ。
世界が壊れて、とても傷ついてしまっているのよ。
お金を信じているなら、翠ちゃんはうんと立派よ
(若木未生「イズミ幻戦記」第4巻より)

全てを司っていたマザーコンピューター・「ジュリア」の暴走により、 全てが崩壊してしまった近未来の世界で、 金が生き甲斐、と言い切る翠に、 巨漢のオカマサイボーグ(というとちょっと設定からはずれるのだけれど)、 静が穏やかに語る場面。 やっぱり、人生には生き甲斐が必要不可欠、なのだと思う。 例えどんなものでもいいから。(2004)


なんとなく 予感がしてた こわれてく感じがしてた
身の程もわきまえない 自画自賛を始めていた
のぼせて 図に乗り とりつくシマもない
(B'z/アルバム「BIG MACHINE」収録「儚いダイヤモンド」より)

心身共に無理をして、燃え尽きて自爆して、仕事を辞めなければいけなくなる直前、 ずっと予感がしていた。このままでは倒れる、駄目になる、と。 けれど、同時に頑張っている自分に酔っている自分も確かに居た。 その結果は当然の報いとしてやって来た。 それまで築いてきたキャリアも人間関係も一瞬にして失うことになった。 今になって、どうしてあの時自分の予感に素直に従って行動を変化させることが出来なかったのだろう、 と思う。今となっては、全て手遅れだが。 自分を変えられなかったのはきっと私の弱さで、 でも弱いままじゃ駄目なんだ、と思いつつ、変わる勇気が未だに持てないでいる。(2004)


逃がさないで 逃げないで 胸の痛みと手をつないで
明日を迎えよう

イヤな問題 大損害 避けて通る人生なら論外
生きてるからしょうがない
(B'z「Wonderful Opportunity」/アルバム「IN THE LIFE」収録より)

胸の痛みも嫌な問題も大損害も避けたいし、出会ってしまったなら逃げ出してしまいたい。 ……でも、それじゃ駄目なんだよね。真剣に生きる為には、 そういったもの達と向き合わなきゃ、いけないのだ。 生きているのだから。生きていく、というのは、多分そういうことで。(2004.12.31)


肉体のつながりが愛を支えるということは正しいであろう
肉体の愛のない関係は短期間には燃えうるが、
長い年月を保たせるには哀しさも慎ましさも足りない。
それは、精神を信じ過ぎているということになる。
(曽野綾子「誰のために愛するか」角川文庫より)

これは本当のことだろうな、と思う。 精神的な愛情だけで関係が成り立っている時、 それが時として幻想的であるが故に、ついつい永遠であるかのような錯覚を覚えてしまう。 でも、それは言い方を変えば全く実態を持たないものであるが故に、 意外に短命であることが多い。 浅ましくて、計算ずくめで、利己的で、 そんな肉体関係が絡んだ愛の方が長続きすることを意外に思ってしまうのは、 多分私が精神を信じ過ぎているから、なのだろう。(2005.1.15)


逃げ方を一度おぼえてしまうと、
そればかり巧くなって、
自分で壊せる障害物であっても手を出さなくなる

自覚しないかぎり悪化していく業病だ。
(若木未生「イズミ幻戦記」第4巻/集英社スーパーファンタジー文庫より)

これが、負け犬、というものなのだろう。 本当の負け犬は30歳を過ぎて独身でも子供が居ないことでもなく、 自分の力で何かをしようという気力を失った人間のことなのだ (あれ? 「負け犬」は40歳を過ぎた未婚女性のことだったかな?  どちらにしろ、気分の良い言葉ではないので、私は無視している)。(2005.1.15)


日本の若者と、戦闘で傷ついたアフガンの若者……。
いつも比較し、考え込んでしまう。
飽食の挙げ句、「生きがいが無い」などと言って簡単に自殺したり、
奇妙な宗教に入信する日本の若者や、
髪を金髪に染め、鼻にピアスをし奇矯な服を着て得意がっている日本の学生たち。
自分たちの享受しているその平和、
自由を有為なものにしているとは、到底思われない

(提箸延幸「平和の国の医者だけど」より)

作者は日本の形成外科医だが、アフガンの内戦で負傷した人々を 救護するパキスタンの病院に赴任する。 その作者の日記の一節。 私が自分に与えられている平和や自由を有為なものにしているか、 と考えると、恥ずかしいような思いにしかならない。 せめて何とか社会人として多少なりとも人の、世間のお役に立つような 仕事をさせて頂けているのが救い……だろうか。 私達はきっと、「平和」の本当の意味も、「自由」の本当の意味も、 少しも分かってはいないのだろう。(2004.12.23)


「人間だとか妖怪だとか、そーゆーちっちぇえことはどーでもいいんだよッ。
ただ飯がうまかったんだ。そんだけ!!
(峰倉かずや「最遊記」第1巻より)

妖怪でありながら、使命を受けた人間である三蔵と共に度をする悟空。 宿屋に泊まっている最中に襲ってきた妖怪に「何故人間の味方をする」と問われ、 その宿の女の子の作ってくれた飯が旨かった、と単純明快な答をする。 ……でも、それって凄くシンプルで、とても基本的で、一番大切なこと。 自分の本能、自分の欲求、それは正しい時もあったり間違ってしまっている時もあったりするのだけれど、 それがどんなものであれ、無視をしたりねじ曲げたりすると、絶対にどこかに歪みが出る。 社会的に容認される範囲ならば、出来るだけ自分の欲求に素直に生きたい、と思う今日この頃。(2004)


「人間の聖性の問題でしょう。
時を進めるのに力があろうがなかろうが、
人間が聖なるものだということが認められなければ、
どうして生かすことが美徳なんです?

(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻より)

重度の心身障害者である娘を持つ、小木曽の言葉。 私は精神科の患者さんを前にした時、「人間の聖性」のようなものを感じる時がある。 世間から見捨てられ、家族から見捨てられ、 赤の他人である筈の病院のスタッフに支えられてやっと生きているような患者さんを見ていると、 人間は聖なるものだ、という感情を覚えることがある。 人間そのものの、肩書きや地位や環境や、そういったもの全てを取り除いたところに、 人間の聖性があるのではないか、と。 全てを失った患者さんだからこそ、そのことが強く感じられる時がある。 ……だからといって、何かを持っている人に「人間の聖性」が無いわけではないのだけれど。(2004)


人間は、すべて愛され、必要とされ、感謝され、
なんらかの機会を通じて、
人に認められることを必要としているのである。
(G.BURTON/大塚寧子・武山満智子訳「ナースと患者―人間関係の影響―」より)

人は、一人では生きていけない、のだろう。でも、私はこのことを否認したくて仕方がないので、手に負えない。 愛されなくたっていいのよ、必要とされなくたっていいのよ、感謝なんかされなくたっていいのよ、 認めてくれなくなっていいのよ、と。 本当は、愛されたくて、必要とされたくて、感謝されたくて、認められたくて仕方がないくせに。 望むものが手に入らないから諦めたフリをして拗ねている、私は大きな大きな子供だ。(2004)


人間は、何も教えなくとも(事実、教えたくとも教えられないのであるが)、
中心的自分が自分を得ると、自分で自分の生きたい方向がわかり、
試行錯誤しながらG子のように自立的に成長へ向かうことが出来るのである。
(飯田澄美子・見藤隆子編著「ケアの質を高める 看護カウンセリング」より)

大人でも成長が出来ていない時は、きっと「中心的自分」が自分を得ていない状態なのだろう。 私はどうだろう?(2004)


「人間は悪いことをしてもいいんだ。
というか、悪いことをせざるをえないこともある。
その一言を言えない為に、人間は却って、
自分自身も、自分の尊厳も失うことになるんだけどね
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻より)

主人公・茜が修道女として働くマダガスカルに短期出張でやって来た、 日本人サラリーマン・小木曽の言葉。 彼は日本とはあまりに異なるマダガスカルの現実に触れ、 また、シスターである茜の影響も受けて、やって来た当初とは少しずつ変わってゆく。 その小木曽が日本に帰る直前、茜との最後の会食で語った言葉。 自分自身の中の悪を認めないが為に、自分自身や自分の尊厳を失うなんて、 何て愚かで何て恐ろしいことだろう。偽悪ぶる必要も無いが、 しかし自分の中の悪から目を逸らさず、真っ直ぐに見詰めることが必要であるように思う。(2004)


「ねえ、もう、どうしたらいいの? どうしたいの? わかんない!!」
駄々っ子のように聖が悲鳴をあげた。
癇癪をおこすのは、彼女も弱いからだ。
元来の、生きていく力が足りないのだ
。同じだ。
(若木未生「イズミ幻戦記」第6巻/集英社スーパーファンタジー文庫より)

癇癪、とは本来子供が起こすものだ。 そして、子供が起こす分には正常な反応だが、 大人が起こすとそれは、時としてその人の人格の未熟さの現れになる。 人格が未熟だ、ということは、生きていく力が不足している、ということとニアリーイコールだ。 弱さ、なのだ。 私は普段は我慢強い方だが、突然「キレる」ように癇癪を起こすことがある。 生きていく力が足りないなあ、と思う。(2004.12.31)


はかなくはないですか 恐れたりしませんか
淋しくはないですか 繰り返して行くことは
淋しくて死にそうだと答える
だから走ると答える

(篠原美也子「満月」/アルバム「満たされた月」収録より)

満ちてはまた欠けてゆく、ということを果てしなく繰り返す満月に問いかける言葉は、 全て自分に返ってくる、その返ってきた問いかけに答えている部分の歌詞。 淋しくて死にそうな時、誰かに縋ったり、 本当に死んでしまったりしてはいけない。 だったら、走った方がいい。 全力疾走しているうちは、ひとりでも淋しさを感じないから。(2004)


「箱、もういらないから。
だから、名前を呼んでよ。
オレを呼んでよ」
(オオノサトシ「HEAVY NOVA」Plantationより)

以前、「買ってやる」と約束していた箱は、もう要らない、 と、人間の脳を「生体部品」として使っている人工生命体・ ジャック・ノーは言う。 その代わり、名前を呼んでくれ、と。 この願いは、「HEAVY NOVA」という作品を貫くテーマの一つだと私は 思っているのだけれど、 実はこれは人間の根本的な欲求に言及している台詞だと思う。 相手が自分を呼んでくれるかどうか、というのは、 とても重要な問題だ。 自分の存在を必要としてくれるか、ということ以外にも、 どうやって呼んでくれるか、も。 どう呼ばれるか、もそうだが、相手をどう呼ぶか、ということも。 ちなみに私は下の名前に「さん」をつけて呼ばれることが多いのだが、 これは実はとても嫌いな呼ばれ方。でも、いつもそれを言えずに、悶々としている。 (2005.2.5)


honey, あなたの肌を触りたくて 僕はついふしあわせなフリをしちゃうよ
(B'z/アルバム「LOOSE」収録「砂のはなびら」より)

これは、私もよく使う常套手段(笑)。 取り敢えず、不幸なフリをしていれば、「同情」という名の関心を引くことは出来る。 更に、日本のような大半の人間が豊かな社会では、 「不幸せ」な人を見捨てると人は罪悪感を感じるので、 なかなか「不幸せ」な人は見捨てられない。 下手に「幸せ」であるより、「不幸せ」な方が、取り敢えずは見捨てられない。 特に、恋愛においては。 でも、こういう方法を使っていると、いつの間にか嘘だった筈の「不幸せ」に、 自分でも気付かないうちに本当に捕まってしまっていたりするので、要注意。 っつーか、「フリ」というのは大きな意味では「嘘」なので、 あまり多用するのはどうかと個人的には思う(でも使っているのだけれど)。(2005.1.31)


バブルがはじけて、まじめに首くくるより、
不真面目に夜逃げすることの方がどう考えても人間的である
(曽野綾子「近ごろ好きな言葉」より)

私は自分では不真面目だと思っているのだが、 周りに言わせるとかなり真面目な人間らしい。 故に自殺未遂してみたり、直ぐに死にたくなったりするのだが、 だったら逃げ出す方がよっぽど人間的で、 そろそろ自分にそういう方法を許してやりたい、と思う。(2004)


必要以上に偽善ぶることも
偽悪ぶることもない
一体誰にどんな期待をされているつもりか
誰に何の責任があるつもりか
思い上がりも甚だしい
(江月響「夜の海」より)

素の自分のままで居ることが恥ずかしかったり悔しかったり嫌だったりして、 格好をつけて良い人ぶってみたり、逆に悪ぶってみたりすることがある。 でも、自分がありのままの自分ではなく居られる、というのは幻想に過ぎない。 自分がもしかしたら違う自分になれるのでは、と思うこと自体、 自己を過大に評価した思い上がりなのではないか、と考えることがある。 結局、自分は自分にしかなれないのだ。どれだけ偽ったとしても。(2004)


人はえてして自分の不幸には過敏なものです。
小さな棘が指に刺さったくらいのことであっても、
その10倍20倍にも痛みを感じます。
不幸を実感するのはたやすいのです
日野原重明「生きかた上手」ユーリーグより)

私はちょっとしたことでも大袈裟に騒いでしまうタイプで、 多分、人よりも自分の不幸に過敏なのだろうと思う。 そして多分、人よりも幸せに鈍感なのだろうと思う。 それは言い換えればこれまで恵まれ過ぎていたから、 幸福に鈍感になってしまった、ということなのかもしれないけれど、 それはとても怖いことだと思う。 あんまり頑張り過ぎる必要もないだろうけれど、 小さな幸せに対して敏感になりたいな、と思う今日この頃。(2005.1.15)


人に迷惑をかけない以上は、
どんなことをやってもいいんじゃないかと思いますよ

失敗にもいろんな失敗があると思いますけど、
大きな失敗をしなければいいんです。
そのためには小さい失敗をしておく。
(週間アスキー2004年11-16号/「進藤晶子のえ、それってどういうこと?」第195回
柳井正の発言より)

失敗をすれば、誰かに迷惑がかかる。 でも、大失敗でなければ、それ程大した迷惑はかからない。 小さな失敗なら、周りも許容してくれたり、フォローしてくれたりする (こともある)。 小さな失敗を恐れずに経験し、大きな失敗を回避する方法を覚えて、 人に迷惑をかけないようにすればいいのかな、と思う。(2005.1.15)


人を信じて死ねることは
恵まれていることだと思った

(江月響「Another Day」STRANGE ANIMALより)

致死性の「カビ」に感染した若い女。 彼女は好意を抱いている男に、自分の 死体の処理を依頼する。そして男は、彼女の予想に反して、 その依頼をあっさりと引き受けるのだった。 明日の朝、目覚めることの無い自分をはっきりと認識しながら、 しかし彼女は彼がやって来ることを確信している。 そんな女の、モノローグ。余計な付け足しは要らないだろう。 これは、本当に幸せなことなのだ。誰かを信じて死ねる、ということは。 願わくばこんな風に死んでいきたい、と思うけれど、 きっと無理なんだろうなあ(苦笑)。(2005.1.15)


表現の基本は、技術である
自分の中の情報を正確に他者に伝えること、それが基本だ。
(村上龍「@死なないことA楽しむことB世界を知ること すべての男は消耗品である。Vol.4」幻冬舎文庫より)

これは表現の基本の、多分その一段階上の話だと思う。 私が辛うじてまともに自我を排した表現の手段として使えるのはピアノくらいだけれど、 ピアノを弾く「技術」を身に付けるのは或る程度簡単だ (そんなに簡単でもないけれど)。 その前の段階として、ピアノの「音を出す」ことが必要なのだ。 ピアノは取り敢えず鍵盤を押せば音が出ると思われているけれど、 それは大きな間違い。 そして、更にその前の段階として、 自分の中に「うた」がなければならない。 表現するものは思想でもメッセージでもない。 ただ、シンプルで極めて原始的な「うた」なのだ。 美しい「うた」だけを求めて、多分私はピアノを弾く。 上の文章は、表現に対する第三者が居る時の基本、だろう。 うつくしいものがみたい、それだけなんだよ、本当は。(2005.3.21)


「……平野さん。
生きとってくれて有り難うな
(こうの史代「夕凪の街」の乃野屋より)

10年前の原爆で家族を失い、街を失った平野皆実。 この台詞を言った打越に愛を告白されても、 生き残ってしまった後ろめたさから、一旦は逃げ出してしまう。 その皆実に向かって平野が言った言葉。 何て、愛情に溢れた言葉だろう、と思う。 でも、ふと気付くと、昔誰かにこう思ったことがあった。 あたしと出会うまで生きてきてくれて、生まれてきてくれて、有り難う、と。 ……結局、その後私はその気持ちを忘れて、その相手とはとんでもない泥沼を演じることになってしまったのだが……。 でも、やっぱり、忘れちゃいけない素直で素朴で素敵な、愛の気持ちなのだろう。(2004.12.31)


不安はわたしたちがサバイバルしていくために必要だったから、
感情として備わっているだけで、
不安感がなければわたしたちはものを考えようとしない
危機を察して不安感を覚えて、
わたしたちはやっとそれに対処する方法を考え始める。
(村上龍「ダメな女」光文社文庫より)

不安など無ければいいのに、と思う時がある。 私は心配性で、ちょっとしたことでも直ぐに不安を覚えるので、 そのことがとても嫌だった。 でも、この文章を読んで、不安には有用な面もあるんだな、ということに気付いた。 これからは、不安を疎んじるのではなく、不安を有効に活用していきたい、と思う。 不安とお友達になれれば、……いいような、それも何だかなあ、というような……。(2005.1.15)


冬みてえに生きても、来たじゃん、春。
なあ、シンゴ」
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第3巻より)

お互いに反発し合い、背を向け合った後にリーチが シンゴに満開の染井吉野の下で語りかけた言葉。和解の瞬間。生きていれば、またいつか春は来る。 そう信じて生き物は生きてゆくのだろう。人間も。永遠に続くように思われる凍てつく冬の向こうにも、 春はきっと待っている、……そう信じる力が、ひょっとしたら生てゆく為には必要なのかもしれない。(2004)


「フン‥どうせお前のこったからしょーもないこと悩んでんだろ。
お前が思ってるほど他人はお前の事気にしてねーよ。
中途半端にプライドあるからそーなんだよ」
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「ノイズ・キャンセラー」より)

どうか、私を見ないで。あなたは、いったいどんな風に私を見ているの?  そんな風に気になって、気になって、どうしようもないのだけれど。 でも、中途半端なプライドなら、むしろ、捨ててしまった方がずっといいのだ。(2004)


閉鎖的で安楽な日本を出ること、
しかも悲壮な決意とともに出るのではなく、
状況を楽しみながら外へ出ること、
それだけが「日本の限界」の外へ出る唯一の方法だと思う。
(村上龍「寂しい国から遙かなるワールドサッカーへ」ビクターブックスより)

どうも最近、人生のキーワードは「楽しむ」なのかな、と思い始めている。 「面白がる」と置き換えてもいいかもしれない。 勿論、状況的に楽しむことや面白がることがどうしたって不謹慎にしか ならない場面もあるから、そういう場面では慎むべきだけれど、 そういう時以外は、人生は楽しんだり面白がったりしているのが一番いいような 気がしている。 何だか結局、それが一番、自分も周りもハッピーなんじゃないか、と。 私は「日本の限界」の外に出ようなんてこれっぽちも思っていないけれど、 でも最近ちっとも海外に行っていないので、 また行きたいな、と思っている。 違う文化に体ごと飛び込むのは、とってもスリリングで刺激的で、素敵なことだから。(2005.2.5)


「僕たちは、彼らにとって空気か透明人間みたいな感じなんだな。
隣の星からの透明人間よ。
世界が違う、宇宙が違う、という表情をしている。
悪意もない。だからせめて悪意でもほしい、という感じね。
しかし悪意をもってもらうなんて途方もない願いだという気がするね
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

マダガスカルに短期赴任している日本の商社マン、小木曽がマダガスカル人について語る場面。 人間にとって一番辛いのは、存在を無視されることだ、と言われている。 まだ、悪意を持って貰える、ということは、存在自体は認めて貰えている、ということ。 だから、悪意を持って貰えている人間関係は、まだ捨てたもんじゃない、のかもしれない。(2004)


僕は攻撃性をなくしてしまうことは絶対にできないと思います
初めから全面的に認めるほかないわけで、
それをどう抑制するかということしかないですね。
(村上龍・坂本龍一「EV.Cafe」より河合雅雄の発言)

攻撃性、というのは出来れば認めたくない自分の一面だ。 でも、それを消そうとするのは愚かな闘いで、 だったら最初からその存在を認めて、その上でそれとどう 付き合っていくか、を考えるしかない。 サルの研究をしている河合氏の言葉だからこそ、 重みのある発言。(2004)


「僕はさっき感心して見てて、
アフリカの宣教というものは裸足でなけりゃできない、
と思ったね。
ズボンに泥がつくとか考えてちゃ、とても活動できないですよ。
裸足で生きられるなら、別に靴の補給を心配しなくてもいいんだしね。」
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

物を持ち過ぎて、却って不自由になる、ということがあると思う。 持っていなければ束縛されないのに、 何かを持ってしまった為にそれが手放せなくなる。 ……それは必ずしも物だけに当てはまるわけでもないと思うけれど。 でも、人間は生きていれば必ず何かに縛られるもの。 それをどうやって自分なりに受け入れていくか、なのだ。(2004.12.28)


欲しいんだろ? ガマンすんなよ
(日本橋ヨヲコ「バシズム」収録「ストライク シンデレラ アウト」より)

自分の欲望に正直に生きて行くことが、案外まっとうな生き方なのかもしれない。 わたしは物凄くわがままなくせに自分の望むものを真っ直ぐに追いかけることが本当に苦手で、 それが出来る人は眩しくて眩しくて仕方がない。純粋な憧れを持つことが出来ればまだいいのだろうけれど、 そういう人を相手にひねくれ、拗ねるのでどうしようもない。(2004)


細い腕ひとつで世界をくつがえそうと夢みるのは、
純粋さの特権だ。
いずれ少しずつ我が身の限界を悟り、
未来をみる瞳の輝きを曇らせ、
できることにしか己を捧げられはしないのだと知ってゆく
大人になるとはそういうことだ。
(若木未生「イズミ幻戦記」第4巻より)

自分に出来ること、出来ないことをきちっと理解して、 自分に出来ないことは仕方のないことだと割り切って、 その代わり自分の出来ることは全力でこなす。 それが本当の大人じゃないか、と思う。 ちなみに私は自分の出来ないことまでやろうとしてしまう困った大人。 成長する可能性がまだあると言うべきか、 いい年をして、と言うべきか。(2004)


本当に面白いものが描けた時は、うぬぼれじゃなくわかるものよ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第3巻より)

不思議と、これは判る。何故か、これは自分で判るものだ。 どうしてだろう……。やっぱり、一番最初の読者は自分、ということなのだろうか。(2004)


ほんとうに、「性は生」だということが、よくわかりました。
そういうものを見ている瞬間だけは、
人間、死ぬことなど考えないのです。
おもしろいものですね。
(曽野綾子「近ごろ好きな言葉」より)

人間が生きている限り、「性」からは逃れられないもので、 それは幾つになったところで変わりは無い。 でも、特に日本人は「性」に蓋をして、見ないふりをすることが多いように思う。 病棟で働いていたりすると、やっぱり「性」に直面せざるを得ない場面に出会したりする。 というか、「性」を無視して看護は出来ない、と私は思う。 「性は生」とまでは私は言わないけれど、 それでももうちょっと「性」を当たり前に語ってもいいのではないのだろうか、 と最近思う。それは半ば遺伝子に強制的に組み込まれているものであって、 恥ずかしいものでもなんでもないのだから。(2004)


本当の強さというのは、
世界中でただ一人自分が異なっていても冷静でいられるということではないか

と私は考える。
そして、本当は世界で同じ人間は決していないのだということを冷静に見つめられる力、
自分自身を一人の人間としてきちんと見つめることのできる力というものが、
自分の本当の「強さ」になっていくのではないだろうか。

女子高生ファッションブーム(制服を着ること自体がお洒落であるかのような)が始まっていた高校時代、 皆が揃ってルーズソックスを履き出すのが嫌で、揃って白いシャツを着始めたのが嫌で、 敢えて短い靴下を履き続け、色物の(柄物ではない)シャツを着続けた高校生の頃、 倫理の授業で書いたレポート。 受験の倍率マジックで進学校に滑り込んだ私は受験戦争なんかも大嫌いで、 高校3年生なのに何故か受験には何の役にも立たない倫理を選択していた (その授業自体3年生を対象にしていたのに最初から「受験の役には立ちません」と言い切っていて、 それはそれで清々しい潔さだったと思う)。 卒業アルバムに残っている最前列で楽しそうに授業を聞いている青いシャツを着た自分が、 最近ではひどく遠い存在のように思われて仕方がない。 ちなみに卒業してからその高校の教師に会う機会があり(この倫理を教えていた教師ではなかったが)、 「あの頃はクラスに2〜3人絶対ルーズソックスを履かない子が居たんだよ。 今はそういう子は居なくなっちゃったもんなあ。 ああいう子が居ることが大切なんだけど……」 と言っていたのが印象的だった。(2004)


本音が見えないということは実体がないということだ
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第2巻/講談社より)

本音が見えない人を知っていた。 何を訊いてもあやふやな答えしか返ってこなくて、 何を考えているのかよく分からなかった。 勿論それは私に本音を話さなかった、という部分もあったのだろうけれど、 自分でも何をしたいのか、もっと言えば、何をしているのかさえ 分かっていないような時があった。 それは、乱暴な言い方をすれば、「実体がない」ということ、 だったのかもしれない。 でも、生きていれば、必ず結果という現実を突き付けられて、 嫌でも自分が何をしたか、くらいは分かるから、大丈夫。 かく言う私も、自分が何をしているのか分かっていないことも多いのだが……。 もしかすると、私も半分幽霊の様な実体の無い存在、なのかも、しれない。(2005.2.5)


毎日の生活にどうやら困らなければ、病気ではないんですね
ここの人たちにとっては」
(曽野綾子「時の止まった赤ん坊」下巻/新潮文庫より)

マダガスカルで助産婦として働く修道女・茜が出会った脚の湾曲した少女について語る場面。 日本では、些細な異常――例えば生活にそれほど出ないものでも――問題にされ、 それを持つ人は大いに悩むことになる。 でも、人間の基本はここにあるのではないか、と思ったりもする。 「毎日の生活に困らない」。 忘れがちな、でもとても大切な、シンプルな原則だと思う。(2004.12.31.)


前にも言ったようにどの夫婦もどちらもどこか片輪なのだ。
自分を棚に上げて、相手を非難しても始まらない。
充分にいたわってもらえばいい。
そのかわり、感謝を忘れないことである
私のようなものを、ようこそ貰って下さいました、という思いがなければ、
夫婦は続いて行きにくい。
(曽野綾子「誰のために愛するか」角川文庫より)

本当は、あたしみたいのを相手にしてくれて有り難う、 最初は、そう思っていた筈なのに、いつの間にか、 あれもしてくれない、これもしてくれない、と不満がつのっていることに気付くことがある。 そして一番恐ろしいのは、いつの間にか感謝まで忘れてしまっていることだ。 忘れないようにしておきたい言葉である。(2004.12.31)


「負けた気ンなってんじゃねーぞ、ばーろォ!
こんな負け方俺はみとめねぇぞ!!
負けるにしても見事な負けっぷりってもんがあるだろが。
しがみついて、くらいついて、
みっともねえくらいあがいてから負けろよ!」
(西山優理子「Harlem Beat」第21巻より)

高校バスケット界の王者・金沢北に挑む、 成り上がり都立高校・上南。 しかしその力の差は圧倒的で、上南のメンバーは勝利を諦めそうになる。 その時、ベンチから飛んだ声が上記。 これを叫んだガンちゃんはかっこいいプレーヤーではない。 いつもタイミングを外してしまって、努力が空回りする。 だけど、そんな彼が叫んだからこそ、この言葉は重みがある。 「見事な負けっぷり」。忘れずにいたい言葉だ。(2004.12.23)


「負ける顔でいる奴らに勝のなんて簡単だもん。
――俺もう、負けるつもりないから
(峰倉かずや「最遊記」第9巻/ENIX)より)

勝負に挑む時、勝つ可能性を信じていない人間は必ず負ける。 自分が負ける、と思っている人間は必ず負ける。 勝負に挑むならまず、勝つつもりで挑まなければならないのだ。 それが例えどんなに勝ち目の無い戦いであっても――、 いや、むしろ勝ち目の無い戦いほど、 どうやったら勝てるか智恵と努力と悪あがきの限りを尽くさなければならないのだ。 (2004.12.24)


負けるつもりで走り始めるアスリートはいないだろう
そして勝てるあてのないゲームが今日も待っているだろう
光の陰に闇が見えたら それを勇気と呼んでいいのかもしれない
それを勇気と呼んでいいのかもしれない
(篠原美也子「秒針のビート」アルバム「種と果実」収録/より)

勝負を挑む以上は、勝つつもりでやる。 でも、勝てる見込みの無い勝負をしなければいけない時も有る。 目の前には光溢れる舞台が待っている、勝つつもりでやるけれど、 でも勝算が無いことも分かっている、そんな舞台が。 そこで光の陰にひっそりと佇む闇、その存在を知って、心に刻んで、 それでも勝負に挑み続けることが、勇気、なのかもしれない。 人生はどうしようもないことで満ち溢れている、そのやるせなさを歌いながら、 決してその人生を投げだすことはしない、「種と果実」はそんな姿勢が詰まったアルバムだ。(2005.1.13)


まともな女は、しょっちゅう男を取り替えたりしない。
道徳的に一人の男をずっと好きでいろ、というわけではない。
一度かけがえのないものを見つけたら替わりはそう簡単にいないはずだ
と思うだけだ。
(村上龍「ダメな女」光文社文庫より)

そうなのだ。かけがえのない男に出会って、そして惚れてしまったら、 その恋は簡単には捨てられない。 例え上手くいかなくても、絶望的でも、どれだけ辛くても。 世の中には、あ、上手くいかないな、と思ったら、 すっぱりその恋を捨てて新しい恋を探せるタイプの女も居るけれど、 私は駄目だ。本当はそうした方が身軽で自分も相手も楽なのだろうけれど、駄目だ。 かけがえのない人だ、と感じてしまったら、もう後戻りが出来なくなってしまう。 そして勿論自分は山ほど傷付いて、惨めな思いも辛い思いも沢山沢山して、 相手にも沢山迷惑をかけて、それでも、そう簡単に替わりは、探せない、のだ。 自分でも愚かだなあと思うけれど、村上龍的感覚では、一応「まともな」女……なのかもしれない (自信は無いが)。(2005.1.30)


見せられないもんなんか描いちゃダメだよ。
(日本橋ヨヲコ「G戦場ヘヴンズドア」第2巻より)

楽しみだけに書く(描く)、という方法もあるだろう。 しかし、他人に見せられない作品に意味があるのか?  意味が無くはないと思うけれど、だけれど、 他人の目に晒す勇気が無いものなら、どこか深くに誰にも見付からないように ひっそりと隠しておかなければならないのだ。 ましてやこの台詞はプロの漫画家を目指す町蔵に向けられたもの。 プロの創作者を目指すのならやはり見せられないものなど、 創り出してはいけないのだ。 そしてアマチュアであっても、他人の目に晒す場所に出す作品であれば、 それなりの覚悟を持つ必要があるのだろう。(2004.12.23)


身の程知らずさと誰かが言っても
この思いもうどこへも帰れない
(篠原美也子「青」/アルバム「SPIRAL」収録より)

止めておきなよ、似合わないよ、恋愛をしている時に周りから色々言われたりする。 でも、恋は始まってしまったらもう誰にも止められない。 例え、自分自身にも。 恋が始まりそうな予感がした時に、自分自身を引き留めることは出来る。 でも、始まってしまったら、もう誰にも止められないのだ。 例え砕け散るしかなくても、悲しい結末しか待っていなくても。 それを受け入れることも、一つの強さなんじゃないか、と思うし、 だから他人の恋愛には出来るだけ口出しをしないようにしよう、と思った。(2005.1.14)


「もう、あなたを超えられないことから、
逃げるのにも飽きました
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第3巻より)

逃げ続けた先には、何もない。自分から逃れることも、決して出来ない。それなら、いっそ。 飽いてしまった人間が開き直ると、案外強い……のかもしれない。(2004)


もういちど会いたくて 言葉にはならなくても
人込みの中消える背中に 何ひとつ変わらない恋を
あなたへの終わらない恋を
(篠原美也子「春の日」/アルバム「Vivien」収録より)

突然恋人と別れた女の歌。 もう、こういう時は、本当に何一つ言葉になりはしなくて、 ただこころとからだにどうしようもない愛情が取り残されて、 宙ぶらりんになっていたりする。 去って行く男の背中を見るのは、辛い。本当に辛い。 他人は「次をさっさと探しなよ」なんて言ったりするけれど、 そんな風に器用には、私はなれない。 いつも私の恋愛は(例え他の男を好きになったとしても)「終わらない」恋ばかりだ。(2004.12.31)


もう二度と僕を許さないでしょう
あなたは僕を見放すでしょう 未来永劫
(B'z「BIG MACHINE」収録「アラクレ」より)

某トレンディードラマの主題歌(だったかな?)になったらしいこの曲。 私の作った同人誌「リストカッターの詩(うた)」の中で主人公の頭を離れなかったのは、 実はこの曲。 境界性人格障害(精神医療の現場では「ボーダー」や「BPD」と略すことが多い)の患者さんの中には、 リストカットをする人が少なくないけれど、 この病気の人に特徴的なのは「見捨てられ不安」だという。 ちなみに「リストカッターの詩」を書いた私は恐らく境界性人格障害ではないし (DSM-Wの診断基準は少なくとも満たしていないと思われる)、 「リストカッター」という言葉も私の造語である。(2004)


もしも明日世界が終わると知っていても
花を植えよう 約束をしよう
愛を告げよう
(篠原美也子/アルバム「新しい羽がついた日」収録「flower」より)

この曲を最初に聞いたのは、 ライブ会場だったと思う。 その頃、篠原美也子はメジャーの契約を切られたか、 切られる寸前だったと記憶している(間違っているかもしれない)。 その時は、こういう曲をシングルにしてくれればいいのになあ、 と思っていたような気がする。 多分、これが、希望。 明日世界が終わるとしても、愛している人に愛している、 と告げられる強さ。それが、多分、希望というものなのだ。(2005.2.11)


もっと素直に伝えられたなら
もっと強い自分でいられたら…

最終電車が出てゆくみたいに
わたしから言ったさよなら
(鈴木祥子「苦しい恋」/アルバム「Candy Apple Red」収録より)

この思いも、とても身に覚えがある。 恋愛を続ける強さも、愛情をそのまま伝える素直さも持てずに、 それこそ本当に最後の覚悟でさよならを言って。 でも、このままじゃ駄目だ、と最近は思っている。 素直でいることも、強さも、恋愛には必要だ。(2004.12.31)


物事をネガティブに考えていると、
どんどんどんどん自分から逃げていってしまうと思う。
(B'z Unreal Music「B'z ELEVEN」より松本孝弘の発言)

自己否定や自己卑下は、結局は逃げであり、現実に直面する弱さが露呈しているに過ぎない。 もしかすると、ネガティブなスタンス自体が逃げなのかもしれない。 だから、出来るだけポジティブでありたいと思うけれど、 一度身に付いてしまったスタンスはなかなか抜けないのだ。(2004)


「やめろ。死ぬとか簡単に言うな。
違う。違うだろ。
うそつけ。本当は。
『死にたい』は、『生きたい』だ。
『生きたい』って言ってんのと、同じだ。
違うか!?」
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第2巻より)

「死にたい」と言っている人に「じゃあ、死ねば?」と言うのは簡単だ。問題は、そこでその中に生への意志を見出して、 手を差し伸べられるかどうかなのだ。 「死にたい」と言った精神科の患者さんに、或るナースが「それは『死にたい程辛い』ということでしょう?  言葉の使い方を間違えちゃ駄目よ」と言ったそうだが、これは案外真実かもしれない。(2004)


やりたいことはいつの間にか
望まれる自分になることにすり替わって

あなたが笑ってくれるならそれでいいと
手のひらの汗を必死に隠していた
(篠原美也子「葉桜」/アルバム「種と果実」収録より)

好きな人に嫌われたくなくて、自分の感情を押し殺してしまう。 でも、そうしていると自分が何を本当に望んでいるのか分からなくなってしまうし、 自分が何を感じているのか分からなくなってしまう。 「葉桜」はそういった嘘と本当の狭間にある悲しみを歌った、どうしようもなく切ない曲だ。 本当は、言いたいことを言い合って、それでも一緒に居られる関係が一番楽でハッピーなんだけれど、 人生そう上手くはいかないんだよなぁ。切ない。(2005.1.13)


「夢なんかみない方がいい 日常こそが貴重なものさ
(樹なつみ「OZ」第1巻より)

足元の日常を大切さを忘れて、つい夢見がちになる時がある。 もっと素敵な生活がある筈だ、と望んだりする。 でも、そういう時に限ってありふれた、当たり前の日常の貴重さを忘れていたりする。 大事なのは、毎日毎日一歩一歩、ゆっくりでもいいから着実に足を進めていくこと。 夢というのはそういった歩みの向こうにいつの間にか姿を現すものだから。 間違っても、誰かのお恵みで唐突に天上から降ってくるものではないのだ。 ありふれた日常に、感謝出来るようになりたい。(2004)


夢なんだ、という言い方には初めから甘えがある
夢は大きく持とう、などという言い方には
最初から実現できなくてもしょうがないというニュアンスが含まれている、
ある望みを現実化しようと具体的にしかも科学的に努力している人は、
夢などという表現は使わない、
というか使うようなヒマがない、
(村上龍「『普通の女の子』として存在したくないあなたへ。」幻冬舎文庫より)

夢は何? と訊かれると、昔から困った。 夢なんて、持っていなかったからだ。 目標なら、持っていた。それは、キャリアウーマンになること。 取り敢えず、私は不器用で体力も無かったので、 偏差値勝負をするしかない、と思っていた。 だから、遊びつつも勉強するべき時はして、進学校に入って、 資格も手に入れて、キャリアウーマンらしきものには取り敢えずなった。 でも、それは「夢」を実現する過程ではなかった。 「夢」など持っていなかった。 それは、少なくとも甘えは少ない人生だったのかな、と思う。 でも、十代前半の頃くらいは、もうちょっと夢を持っていても良かったのかも、とも思う。(2005.1.15)


「ヨウ。間違ってもいいんだぞ…。
大切なのは間違ったと認めることだ
そこから、成長が始まる――――」
(樹なつみ「OZ」完全収録版第3巻/白泉社より)

物語本編ではAランクの傭兵になっているムトーが、 少年時代の育ての親に言われたのが、この台詞。 読んでいて、柄にもなく思わず泣きそうになってしまった。 そう、大切なのは、間違ったと認めること。 それはとっても難しいことだけれど、 それが出来る限り、人間は成長し続けることが出来るから。 恐れずに、自分の失敗や間違いを認めることが、大切なのだ。 ちなみに「ヨウ」は、ぎょうにんべんに羊、と書くのだが、 フォントが上手く表示されないようなので、カタカナ書きにした。(2005.1.30)


世の中に出せるものとして自分たちが精一杯やった結果だし、
OKしたものなんだから。
それには責任を持ちたい。
(B'z Unreal Music「B'z ELEVEN」より松本孝弘の発言)

言い訳をしない男の人って、格好良い。でも、個人的には最初、もしょもしょ口の中で言い訳をしながらも、 最終的には責任を認める、くらいの人がいいな。最初から言い訳をしない人は、確信犯的で私はちょっと怖い。(2004)


冷酷である、ということは、日本の風土の中では悪いことなのである。
しかしすべてのことは、これで完全にいいということもなく、
これではすべて悪いということもない

(曽野綾子「悲しくて明るい場所」光文社文庫より)

私は物事を良いか悪いかのどちらかで判断しがちだ。 しかし、完全に良いことも、完全に悪いことも、本当はこの世の中には無いのだ。 私はそのことを忘れて、「完全に良い」状態を目指そうとして燃え尽きてしまうので、 肝に銘じておきたい。(2004.12.31)


Let there be light
And let there be love

Inside me and up above
(ZABADAK/アルバム「Remains」収録「LET THERE BE LIGHT」より

うつくしいものが見たい、と切実に思う時がある。 そんな時、わたしの内と頭上に光と愛を、と歌うこの曲が、妙に胸に染みる。 ちなみにこの歌詞はネイティブの作詞によるもので、 やっぱり英語が体に染みついていない人間ではこういう表現は出てこないよなあ、と思う。 光を、そして愛を。何て切なく美しい願いであることか。(2004)


「わかってねェな。彼女はムトーにとって最高の看護婦だ。
なんせムトーに惚れてるからな」
「しかしデータによれば、彼女はムトーの死刑を望んでいるはず」
それが人間…ちゅーか乙女心の複雑なところだ
この屈折は機械野郎には死んでもわからねェだろうがな」
(樹なつみ「OZ」完全収録版第3巻/白泉社より)

傭兵・ネイトとOZで作られた人工生命体(サイバノイドとアンドロイドの中間型)、1024 の会話。 愛と憎しみはとっても仲良しで、表裏一体のようなもの。 昨日までの愛が何かをきっかけに突如として憎しみに転換することもあるし、 愛情と憎悪が同居することもよくある話。 でも、それはどこまで人間そっくりに作られていても本物の自我を持たない1024には 理解出来ないのだった。「OZ」では1024やサイバノイド・1019の存在や生き様を通して、 「人間」とは何か、「生命」とは何か、という重い問いかけを投げかけてくる作品だ。 そんな問いかけを正面切って押し出してくるのではなく、 映画の様な巧みなストーリー展開に夢中にさせ、 全て読み終わった後にその問いかけに気付かせるようなところが、また凄い作品なのだけれど。 死ぬまでに一つでいいから、こんな物語を作り出せればなあ、と思う。(2005.1.13)


わけなんて言わないで 春だから それでいい
あなたから背を向けて 傷つかずに始まるものは無い
(篠原美也子/アルバム「SPIRAL」収録「前髪」より)

以前は、もし男に別れを告げられたとしたら、 絶対に理由を問い詰めただろうと思う。 今は、相手にも依るだろうけれど、そうは思わない。 終わってしまった恋の理由を突き詰めたって、何にもならない。 だとしたら、終わった恋の楽しかった思い出だけを小さな宝物の様に抱き締めて、 ひっそりと違う道へ歩いて行く方がいいな、と思っている。 大好きな人と別れて、傷付かないわけはないのだから。(2005.1.29.)


忘れたくないことよりも忘れたいことが増える
(篠原美也子/アルバム「SPIRAL」収録「ひとり」より)

人生、楽しいことばかりならいいけれど、そうもいかない。 一所懸命生きているつもりだけれど、何もかも上手くいかない。 きらきら光る忘れたくない思い出よりも、 もう記憶の底に押し込めて、二度と思い出したくないことの方が段々増えてゆく。 忘れたいこと、なんて、無い方がいいのだろうけれど、 そんな記憶から逃げずに、その痛みを抱えたまま生きてゆくのが、大人、なのだろう。 ちなみに私は、忘れたいと思っていることは本当に忘れてしまう、 という妙な特技を持っている(心理学的に言えば「抑圧」辺りと関係有りそうなのだが、 怖いのでそれ以上は考えない)。(2005.2.5)


「私、高城の教授だった夫を3年前に亡くしてるの。自殺で。
あなたはしっかり生きなさい。シンゴ」
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国第4巻より)

しっかり生きるのは、難しい。本当に、難しい。 うっかり不可抗力で死んでしまうのは仕方がない。 でも、自殺は残された人間まで深く傷付ける。だから、どんなにしんどくても、 私達はしっかり生きていかなければならないのだ。自分の両足で地を踏み締めて。(2004)


私たちの心は分裂し、矛盾している
その裏表、両極を温かく容認した番組は、
世紀末の不安を表しているどころか、
すべて比類なく健全になる。
(曽野綾子「近ごろ好きな言葉」より)

自分を許せない時が多い。 どうしてあんなことをしてしまったのだろう、 どうしてこんなに頑張れないのだろう、 どうしてこんなに駄目なんだろう、等々。 しかし、ふと我に返ると、「お前はそんなに立派な人間なのか」 と気付いたりする。 ああ、この程度の自分なんだな、と容認することが、 結局他人を容認することにもなるように思う。(2004)


わたしたちは、
休むべきときには、休まなければいけないのだ。
(村上龍「MUNDIAL 2002 世界標準を越えて」光文社より)

これは、大事なこと。 人間は機械では無いのだから、 休むべき時には休まないと、 動き続けることは出来ないのだ。 ついつい、何だか、色々なことに追われて、 休む、ということを忘れがちだけれど、 人間は休むべき時には休まないといけないのだ。 ちなみに、看護においても「休息」と「安静」と「良眠」の確保は、 重要な問題である。(2005.2.5)


私はあなたの立場がわからない
あなたに私の事がわかるはずがない

成らない約束についてとやかく言うつもりはない
だからあまり言い訳をしないで欲しい
(STRANGE ANIMAL/江月響「夜の海」より)

このサイトのトップに「I can't understand you. You can't understand me. Stand by me, darling.」と書いてあるが、 前半2行は上の文章と同じニュアンスだろう。 それでも「Stand by me, darling.」なんて書いたのは、若かったんだなあと最近思う。 分かり合えずにそれでも一緒に居て欲しいと願う強さは今は余り無い。 そもそも分かり合えないことが人間関係の大前提になってきている感は否めないし、 今は上の文章のように分かり合えないことについて咎めるつもりはさらさらないから、 だからせめて言い訳はしないで欲しい、という気力くらいしかない。 いや、もう言い訳すら聞き慣れてしまっているのかも、しれない。(2004)


私は、人生というものは、やり直しがきかない、
取り返しのつかないことの連続だと思っている。
だから、いくら好きだといっても無謀なことをしてはいけない、
というわけではない。逆だ。
取り返しがつかないことの連続だからこそ、
自分はなにをしたいのか、
なにをしているときの自分がもっとも充実しているのかがわかれば、
誰がなんといおうと、その好きなことを完遂すべきであると思う
(村上龍「ダメな女」光文社文庫より)

人生が取り返しのつかないことの連続、ということを意識してしまうのは、怖い。 大丈夫、何とかなるさ、この次があるさ。 そう思って生きていきたいけれど、 しかし、人生は有限であって、明日自分がどうなっているかでさえ、神以外には分からない。 だったらやはり、村上の言う様に好きなことを完遂すべきなのだろう。誰が、何と言おうと。 (2004.12.31)


私はまた叫ぶことをやめない若人たちを描き続けるだろう。
言霊を込めて物語を刺青のように原稿用紙に彫る。
信念だけは消されないように。
(日本橋ヨヲコ「極東学園天国」第4巻後書きより)

色々な事情で、不本意な決断をしなければいけないことがある。 それでも、自分の信じるものだけは忘れずに持っていたい。それだけは、誰にも消す権利は無い。 そして、誰にも消すことは出来ない。信念を持ち続けるか、放棄するかは自分でしか決められない。(2004)


わたしはモニカ・ルインスキーという女が大嫌いだったが、
彼女は実名で大統領と対決した。
嫌いだが、彼女はダメな女でも汚い女でもない
村上龍「ダメな女」光文社文庫より)

こういう態度は清々しい、と思う。相手に対する個人的な感情を、 嫌い、というネガティヴなものであってもきちんと表現して、 しかしその相手が「ダメ」だとか「汚い」という定義は行わない。 いや、行えない、のが本当なのだ。 人間の、ましてや他人の本質など、分かるわけがない。 でも、私達は得てしてそこのところを混同して、 単に自分が「嫌い」なだけである相手を「駄目」な人間だとか「狡い」人間だとか定義してしまう。 でもそれは、あまりにも思い上がった行為なのだけれど、 ……でも、日常生活の中でそのことに気付くのは、とても難しい。気を付けなくっちゃ。(2005.1.14)


悪い人だ、と思えても、私たちの知らないところで、
その人がどんないいことをしているか知らないのだから、
私たちは決定的に否定してはいけない
仮にその人を否定する時でも、部分的な否定に留めることができる。
(曽野綾子「悲しくて明るい場所」光文社文庫より)

自分の全部すら把握することは出来ないのに、 誰かの全てを知るのは不可能だ。 だから、相手を頭から否定したり、 逆に頭から肯定することはしてはいけない。 この人は嫌な人(良い人)だけれど、 違う面もあるかもしれない、と思っておいた方が、 何事においても人間関係がスムーズに行くような気がする。(2004.12.31)


「我々もびっくりして事情を聞いたんですが、
石井ゆかりさんは間違いなく自殺です。
でも自殺ってのは、
時に、まわりの人間の心に深刻な傷を残す

―――この女性のように」
(一色伸幸・おかざき真理「彼女が死んじゃった。」第2巻/集英社より)

突然謎の自殺をした石井ゆかりの死の理由を求めて、 旅する3人組。その前に現れる、「自分がゆかりを殺した」と話す女性。 でも、警察官に依れば、石井ゆかりは間違いなく自殺だった。 この女性は、死ぬ直前からのゆかりからのメールを読まずに削除したが故に罪悪感を持ち、 「自分がゆかりを殺した」と言っていたのだった。 ――自殺は、周囲の人間の心に、深い、深い傷を残す。 だから、私達はしっかり生きなければいけないのだ。どんなにそれが辛くても。(2005.1.15)


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